2011年4月11日月曜日
今崎暁巳さんを偲ぶ
「絆を結んで一緒に人生を創っていこうよ」
-人間讃歌・共生の呼びかけに満ちたルポ作品を残して
六二年、大好評のテレビ『判決シリーズの』シナリオ作家の一人としてデビューするが、「偏向番組」攻撃のなかで番組は四年間で中止に。その後ルポライターの活動に。驚くほどの単行本とエッセーを残して昨年一二月一五日旅立っていきました。
いま無縁、絶縁社会とかが語られています。これは人間の絆、共生にかえて、他者、友人をも競争相手としてのみとらえていく「人間関係」「社会」が産み出した産物。彼の作品は全く逆に、家庭でも地域でも、すべての作品が人間の絆で結ばれた共生に取り組む事実のルポです。人間讃歌に満ちて「人とひとの絆を結んで、ご一緒に人生を創っていこうよ・・」と全作品で呼びかけています。
今崎さんは、東京革新懇の世話人として、長く活動されました。「東京革新懇ニュース」(八五年九月号)の『いま想うこと』欄に、「人間無視の日本航空の体質」と題して寄稿しています。また、九四年五月に東京革新懇が開催した『住まいは人権の視点でー公的住宅を考える』シンポにパネリストとして参加、「団地住民の心、ふるさととしての団地、公団建て替え問題など住民が主人公としての住民運動の前進などルポ作家としての目を通してリアルに報告」したとあります。
今崎さんに「貴方の人間・人生をこめたメッセージが私たちの人生に生き続けリレーされていきますよ」と報告したい。
(柳沢明朗;元労働旬報社社長、大学院で同じ研究科)
(柳沢明朗;元労働旬報社社長、大学院で同じ研究科)
(略歴・主な作品)1930年7月9日生まれ。54年早大文学部仏文専攻終了。同大学院法学研究科労働法へ入学、六0年終了、ルポ作家。
東京革新懇世話人、東京憲法会議代表幹事、日本民主主義文学会幹事、下町人間・天狗講九条の会世話人、上野の森に「廣島・長崎の灯」を永遠に灯す会常任理事等の役員を歴任。
『友よ 未来をうたえー日本フィルファーモニー物語』、『ドキュメント日本航空』、『いのちの讃歌』、など32冊の単行本と72点のエッセーを刊行。
『インターネットと社会変革』 有原 誠治

有原代表世話人はパワーポンターを使って、インターネットが軍事目的から開発された歴史など基礎知識から解説しました。そして、「ネットでの社会変革の可能性」について、日本の支配者はテレビを中心とした情報戦略を推進しており、これに抗して、人をつなぐ道具としてITを目的意識的に使い、メッセージを発信し交流する手段として活用することが課題であると強調、「共同の力でネット放送をはじめよう」「テレビに子守りをさせないキャンペーン作戦を」と呼びかけました。
2011年1月2日日曜日
「東京の地酒」 立川市 佐藤 榮祐
酒は灘だ伏見だ、いや米どころ新潟だ、などとよく言われるが、冷蔵の技術や輸送の手段の乏しかった時代ならともかくも、昨今においては地域の差はさほどない。大事なことはどういう酒を造るのかが、酒造りに対する蔵元の考え方である。
東京には十の酒造場がある。唯一23区内(北区岩渕町)に残る小山酒造場、府中の野口酒造場、東村山市の豊島酒造場、八王子市の小澤酒造場と中島酒造場、福生市の田村酒造場と石川酒造場、あきる野市の中村酒造場と野崎酒造場、青梅市の小澤酒造場である。これら東京の酒造りの特徴は、すべて小規模生産でありオリジナリティに富んでいることだ。日本酒(純米酒)はもともと大量生産の出来る様なものではない。一人の杜氏が責任もって造れる量は、頑張ってもせいぜい2千石程度と言われている。しかし大手酒造メーカーでは、例えば白鶴は34万石、月桂冠は32万石、松竹梅が24万石、以下、大関、日本盛、黄桜等々大量の出荷データ(2,004年、日本経済新聞社)が並ぶ。こうなるともう蔵と呼ぶにはふさわしくない、アル添清酒(蒸留したアルコールを加えた酒)の大量製造工場である。その点東京の酒造りは、大半が4百石から千石の小規模生産だ。単に造りが少なければよい酒というものではないが、造りの全工程に杜氏の目が行き届き、責任をもって管理できるという点ではよい条件を有しており、東京の蔵元はそれぞれ創造的に酒造りに励んでいる。なかでも私は、あきる野市野崎酒造場の「喜正」を東京の地酒の筆頭に挙げたい。「喜正」は、蔵正面の戸倉城山より湧き出る伏流水を仕込水として用い、頑なまでに昔ながらの酒造法を守っており、今でも甑(こしき)で米を蒸かしている。さらに驚いたことに蔵人は3人だとのこと。わけても銘米の誉れ高い「山田錦」を50%まで磨いた「喜正」の純米吟醸酒は実に旨い。ほのかな吟醸香と飲みこんだ時に時に鼻腔に感じる清々しさ、味は雑味がなく風格さえ感じる。毎日でも飲みたくなる酒である。しかし残念ながらこの酒はあまりにも少量生産のため、蔵でしか入手出来ない。豊島酒造が出している「屋の守」(おくのかみ)という純米吟醸酒も旨い酒だがこれも少量生産のため購入できるのは多摩市の小山酒店だけである。さらに極め付きは、多摩産の純米吟醸酒「原峰のいずみ」だ。これは、多摩市の小山酒店の三代目、小山喜八さんが地元の農家と心を一つに3年かけて完成させた地酒である。田植えも稲刈りも参加者を募って行い、造りは福生市の石川酒造場に依託している、まさに地酒中の地酒である。あまり知られていないが、東京にはよい地酒があるのだ。
2010年12月31日金曜日
江戸の正月・東京の正月 田中 優子
正月とは何か?
そう疑問を抱いてしまったのは、沖縄県八重山諸島に行ったときだった。八重山諸島の石垣島では、旧暦の八、九月にマユンガナシーという来訪神が出現する。これを「節祭(しつまつり)」というのだが、その場合の「節」とは、正月節のことだというのだ。
つまり風土が違う。気温が異なる。そうすると作物の収穫時期が違ってくる。八重山では穀物が二月から五月に熟すので、かつてはその時期に収穫儀礼や新年儀礼がおこなれたのである。考えてみれば、地域の風土によって「新たな年」を迎える日付が違うのは当たり前で、地球上がみな同じ日に正月を迎えるのは、現代だけであろう。
東京近辺に話を移すと、田植えをする月の直前の満月の日も年の境目だった、という説がある。そうなると旧暦四月一五日がその日にあたる。これは今の暦の五月中旬から下旬のあいだになり、まさに田植えの季節である。五月五日は江戸時代まで女性の節句ので「女正月」と言い、女性たちがそれ以降の忙しい日々に備えて休む日だった。「正月」という名称は、やはりこの時期に使われていたのである。
しかし、別の観点もある。正月でもっとも大事なのは「来訪神」つまり歳神(としがみ)だ。ナマハゲがその代表だが、彼らは小正月に来訪した。小正月とは旧暦一月一五日の満月の日から二〇日までを言う。その時に来訪神の依り代である門松が飾られ、供え物である鏡餅が供えられた。各家では年神棚・恵方棚を作り、供え物を置いた。神を迎えると神と共食することによってその力を身につけようとしたのである。
江戸時代になると、正月は一月一日からということになった。しかしこの一月一日も、旧暦なのだから今とは異なる。たとえば二〇一一年は、二月の三日が正月の一日になる。今よりはるかに新春に近い。二月の二日が旧暦の十二月三〇日、つまり三十(みそ)日(か)で、一年の最後の三十日だから「大みそか」という。ちなみに、江戸時代に三十一日という日付は存在しない。
その大晦日の食事が「おせち」である。おせちとは五節句の料理、という意味で、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日にもおせちを食べた。正月のおせちは神を迎えた宴である。神は大晦日にやって来るので、おせちは大晦日に食べた。そのまま眠らずに神とともに起きていて、朝になると供え物を下ろして雑煮とした。その元日の朝、人々はいっせいに年を取った。誕生日に年をとるのではなく、元日に年をとる。だから屠蘇を飲む。肉桂、山椒、桔梗などの生薬が入った薬酒である。おせちの中に数の子やごまめが入るのは豊穣の祈願であり、黒豆や昆布巻やするめが入るのは長寿の祈願である。もとより味は問題の外にある。
江戸らしい正月の風景と言えば、予祝芸の芸人たちが町を歩くことだろう。赤い布で覆面した「節季(せき)ぞろ」、頭を白い布で包んだ願人坊主「まかしょ」、獅子舞、大黒舞、万歳などが歩く。彼らは非人たちである。この世を祝う者たちは、被差別の者たちだったのだ。
正月に目を向けるだけで地域や風土による多様性が見え、祝賀を被差別民にゆだねていた都市の姿が見える。
(プロフィール)
法政大学社会学部メディア社会学科教授
法政大学国際日本学インスティテュート(大学院)教授
近世文学(江戸時代の文学)を専攻するが、江戸時代の価値観から見た現代社会の問題に言及することも多い。
2005年度 紫綬褒章受章 近著:「きもの草子」(ちくま文庫)「布のちから」(朝日新聞出版)「江戸百夢」(ちくま文庫)「未来のための江戸学」(小学館)「江戸っ子はなぜ宵越しの銭をもたないのか?」(小学館)
法政大学国際日本学インスティテュート(大学院)教授
近世文学(江戸時代の文学)を専攻するが、江戸時代の価値観から見た現代社会の問題に言及することも多い。
2005年度 紫綬褒章受章 近著:「きもの草子」(ちくま文庫)「布のちから」(朝日新聞出版)「江戸百夢」(ちくま文庫)「未来のための江戸学」(小学館)「江戸っ子はなぜ宵越しの銭をもたないのか?」(小学館)
2010年10月15日金曜日
120名参加! 池辺晋一郎先生を迎えての最終練習会
10月12日、19日の本番を1週間後にして、港区立男女共同参画センターにて、池辺先生のジョークに誘われてリラックスした中にも集中した最後の練習会となりました。「アメージンググレイス」「私たちが進みつづける理由」について、曲の骨格や3連符と16分音符の違いなど作曲者の意図がどのように楽譜になっているかなど、専門家らしいお話は、歌い手一同、まことに納得させられる楽しい練習会でした。前回の練習会で本番は、初めて歌う方も楽譜を外して暗譜で歌いましょうと提起されましたので、皆さん、家で良く練習された様子が見えて先生の指揮に集中した練習となりました。一生懸命歌いますので、ご声援宜しくお願います。(東京のうたごえ・外山靖雄)
2010年10月8日金曜日
楽しんでもらい、明日へのエネルギーとなるお芝居を
前進座では10月から東京で、早坂暁原作『夢千代日記』を公演します。「夢千代日記」はNHKドラマとして放映され、ひなびた温泉町に生きる芸者たちの人生を織り込みながら、胎内被爆という宿命を背負って生きる夢千代の、あたたかく美しい物語が好評を博しました。そこで、「夢千代」役を演じる今村文美さんにうかがいました。
-『夢千代日記』を演目に選ばれた理由は、何ですか。
原爆投下から65年、核兵器廃絶の国際世論が、かつてなく高揚しています。これからも訴えていくことが大切と思います。前進座は大衆のための劇団として、『銃口』『母』など平和をテーマにした作品を扱ってきましたが、今回は、被爆の問題に挑戦することにしました。
芝居は、娯楽性も大事です。前進座は来年80周年を迎えますが、女優がたくさん育っています。芸者役として、唄・三味線や踊りで、観客の皆様に思う存分楽しんでもらおうと選びました。
-「夢千代」役を、どのような思いで演じられるのですか
夢千代を通して多くの方に出会い、被爆体験をうかがいました。聞かせていただき、8月には原爆犠牲者慰霊祭にも参加。「8月6日は、恐ろしいけれどかならずやってくる」と重い口を開いての体験談を、嗚咽をこらえて聞きました。本当のことを知らなかったとの日々です。
夢千代は支えあって生きていく中で、原爆手帳を取ろうとするなど変化・成長していきます。
楽しんでもらい、明日へのエネルギーとなるお芝居を演じたいと思っています。
-原作者の早坂暁さんは、東京革新懇の「人間講座」でお話くださったことがあります。「花へんろ」の執筆が終ったあとで、「昨日を忘れたら明日は見えない」、昨日を忘れないためにも歴史から学ぶことが大切だと訴えられました。
早坂先生は、この公演のプレ企画で講演され、原爆の悲惨さ、二度とあってはならないこと、などと強調されました。「心に被爆してください」との言葉が印象に残っています。
-革新懇運動は、国民生活の向上、平和、民主主義の3点で共同を広げ、「国民が主人公」の日本をめざしています。東京革新懇は来年30周年を迎えます。会員へメッセージがあったらお聞かせください。
『出雲の阿国』の中に、次のようなせりふがあります。「私らの唄や踊りを、何で、人は銭を払うて見にくるのじゃろうか。」「みんな心楽しむ故やろう。」「美しいもの、面白いもの、おかしきものはよいものや。」「楽しんだ心が残ろう。銭では買えんほどのものが残ることもあるわ。」ところが、国民のくらしにゆとりがなくなり、演劇を見る人が減ってきています。演劇を多くの人に楽しんでもらうためにも、革新懇の前進を願っております。
《「夢千代日記」公演日程》
10月15日(金)~24日(日)前進座劇場
12月27日(火)~9日(木)浅草公会堂
チケットのお求めは前進座東京営業所
℡:0422(49)2811
-『夢千代日記』を演目に選ばれた理由は、何ですか。
原爆投下から65年、核兵器廃絶の国際世論が、かつてなく高揚しています。これからも訴えていくことが大切と思います。前進座は大衆のための劇団として、『銃口』『母』など平和をテーマにした作品を扱ってきましたが、今回は、被爆の問題に挑戦することにしました。
芝居は、娯楽性も大事です。前進座は来年80周年を迎えますが、女優がたくさん育っています。芸者役として、唄・三味線や踊りで、観客の皆様に思う存分楽しんでもらおうと選びました。
-「夢千代」役を、どのような思いで演じられるのですか
夢千代を通して多くの方に出会い、被爆体験をうかがいました。聞かせていただき、8月には原爆犠牲者慰霊祭にも参加。「8月6日は、恐ろしいけれどかならずやってくる」と重い口を開いての体験談を、嗚咽をこらえて聞きました。本当のことを知らなかったとの日々です。
夢千代は支えあって生きていく中で、原爆手帳を取ろうとするなど変化・成長していきます。
楽しんでもらい、明日へのエネルギーとなるお芝居を演じたいと思っています。
-原作者の早坂暁さんは、東京革新懇の「人間講座」でお話くださったことがあります。「花へんろ」の執筆が終ったあとで、「昨日を忘れたら明日は見えない」、昨日を忘れないためにも歴史から学ぶことが大切だと訴えられました。
早坂先生は、この公演のプレ企画で講演され、原爆の悲惨さ、二度とあってはならないこと、などと強調されました。「心に被爆してください」との言葉が印象に残っています。
-革新懇運動は、国民生活の向上、平和、民主主義の3点で共同を広げ、「国民が主人公」の日本をめざしています。東京革新懇は来年30周年を迎えます。会員へメッセージがあったらお聞かせください。
10月15日(金)~24日(日)前進座劇場
12月27日(火)~9日(木)浅草公会堂
チケットのお求めは前進座東京営業所
℡:0422(49)2811
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