2011年12月20日火曜日

引間博愛さんを偲ぶ           労働運動の右翼的再編に体を張って挑む              中村美智子(元新日本婦人の会都本部会長、東京革新懇顧問)


引間博愛さんの突然の訃報(一二月三日)に息をのんだ。「しんぶん赤旗」に掲載された経歴は十七行・百七十字・異例に長い。私はその一字一行に見入り紙面を閉じることができなかった。
 この十七行にこめられた引間さんの経歴は、戦後日本の労働運動の縮図のように私の胸に重く響いた。
 襲いくる反共攻撃幾たびぞ挫折なけれは確信の湧く(歌集「秩父讃歌」より)
 日本の労働運動の右翼的再編の渦に抗い、体を張って挑み、時代に叶った組織づくりの最前線に立たれた。年金者組合の産みの親でもある。
 私もいろいろな場面で御一緒し写真まで横並びしたのがある。しかし、その引間さんが歌人であることを知ったのは、一九九十年代後半、私が「新日本歌人」に入会してからのこと。もっと驚いたのは「私の戸籍は秩父でね」である。東京革新懇の会議で隣席の時は、秩父の誰れそれのこと、秩父事件のことで話が弾んだ。
 生まれしは北海道にて本籍は秩父なりけりいづれも誇る(歌集「秩父讃歌」より)
 生活要求と世直し・自由・自治を柱に闘った父祖の血脈と自分の生き様を重ね「誇る」と詠われた引間さん。たけだけしいもの言いをしない、いつも「沈着で温和」な引間さん。私の隣席に座られることはもうない。
困民党の蜂起の歴史相共に継ぎきし君といま別れゆく 合掌
(経歴)
12月3日、心不全のため逝去。享年91歳。
1920年3月、北海道夕張市生まれ。1946年、神田運送で労組結成、支部書記長になる。1950年11月、レッドパージで神田運送を解雇されるが、52年6月に撤回される。1954年10月、全国自動車運輸労働組合委員長に就任、その後、全日本運輸一般労働組合委員長、統一労組懇常任代表委員として労働組合運動の階級的民主的強化、全労連の結成に尽力。1989年9月、全日本年金者組合を創立し、初代委員長。全労連顧問、全国革新懇代表世話人などを歴任。東京革新懇の結成(1981年2月3日)よびかけ人32氏の一人で、代表世話人を長く務め、2010年から顧問。
新日本歌人協会会員。歌集『明日の陽』『秩父讃歌』など

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