世話人 武藤幸子
12年前、息子が浪江に転勤した時から、ずっと心に引っかかっていた「原発事故」が3月12日現実のものになってしまった。ようやく連絡が取れた息子一家に「とにかく早く遠くに逃げなさい」と。避難所を転々とし、ガソリンがようやく手に入り八王子のわが家に。しかし、中三の孫は、「福島が大好き、友達と一緒にいたい」と転校した学校には、2日しか行けずに、1ヶ月後には福島に。放射能の影響を心配して呼びよせた私は、被災した孫たちの思いを推し量ることができずに悩んだ。子どもたちへどのような影響を及ぼすのかとても心配。9月にお墓参りに故郷福島に。たわわに実った黄金色の稲、色鮮やかに咲いたコスモス、いつもと変わらない様に悲しみと怒りが。世の中を、社会を少しでも変えたいと私なりに歩んできたが、力不足を実感。今多くの人が何かをしなければと行動を始めている。原発を安全と嘯いてきた為政者を包囲して本気で世直しをしよう。
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