2014年10月23日木曜日

10/19東京革新懇人間講座

 心打たれた
「”人間・宇都宮健児”人生を語る」
 東京革新懇は1019日、「”人間・宇都宮健児”これまでとこれからの人生を語る―なぜ闘う生き方を選んだのか―」を開催、165人が参加しました。今井文夫事務局長が、平和と革新を進める上で豊かな人間づくりは、重要」と人間講座の意義にふれ、宇都宮さんらの努力で街中にサラ金の看板がほとんど目に付かなくなった。これほど社会に大きな影響を与えた運動はない、と開会挨拶。以下、宇都宮健児さんの講演と井佐哲郎人間講座運営委員(DJくま)とのトークセッションの要旨。
自分の家だけ貧乏から脱出していいのか
 開拓農家で苦労している親を楽にしたいとプロ野球選手をめざしたが挫折。勉強に集中して東大に入学。大学で「わたしゃそれでも生きてきた―部落からの告発」や「産炭地児童の生活記録集」を読み衝撃を受けた。みんなひどい生活をしているのに自分の家だけ貧乏から脱出していいのか、と思うようになった。人の役に立つ人になろうと弁護士に。
相談者の顔色が良くなりサラ金事件にやりがい
 サラ金事件で相談者の代理人になると、翌日から事務所に「早く金を払え、ボケカス、このやろう」とどんどん電話がかかってきた。しかし、弁護士がつくと、相談者の青白かった顔も元気を取り戻し、また、東北などからの出稼農民からの相談があると開拓農家として働いている両親の顔と重なり、とてもやりがいを感じた。弁護士事務所にたどりつけない数十万、数百万の多重債務者の救済のためにサラ金規制法やヤミ金融対策法などの立法運動に取り組み、出資法の上限金利を年109、5%から年20%に下げることができた。
多重債務の背後にある貧困問題に取り組む
 多重債務問題の背後にあった貧困問題に取り組み、「反貧困ネットワーク」を結成、多くの団体と取り組んだ「年越し派遣村」の運動は民主党政権が誕生するきっかけとなった。また、日本弁護士連合会内に「貧困問題対策本部」を設置した。
 運動の視点で、日弁連会長選挙や都知事選に挑戦した。都知事選を闘ったメンバーらとソウルを訪ね韓国市民運動の現状を学んできた。
弁護士の仕事―弱者の味方
 弁護士法第一条に「弁護士は基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とある。人権が守れていない人とは、社会的弱者である。私は、「弱者の味方をしろ」というのが弁護士法で言っていることだと受け止めている。
 また、目の前の事件を解決するだけでなくそこにたどり着けないたくさんの被害者を救済し解決するための制度を変えたり、法律を変えることも弁護士の仕事と考えるべき。
ヤミ金との闘いで29億円を被害者に
 ほとんど暴力団の資金源となっていたヤミ金は10日で4割、1日20割などと破格の金利をつけていた。暴力的な取り立てを警察に相談しても民事だからとすぐに取り扱ってくれず、また、押収金があると国の税金債権が最優先され被害者救済はあとまわしにされた。しかし、山口組系五菱会の梶山進のスイスの口座に50数億円が隠されていることがわかり、立法当局に働きかけて約29億円をスイスから返還させ被害者に渡すことが出来た。
 私の事務所にオウム真理教による一家殺害事件の坂本弁護士夫人がいた。事務所を退職した翌年1989年に事件が起きた。1995年に地下鉄サリン事件が起き、坂本弁護士事件の手がかりがあるのではないかと考え被害対策弁護団の弁護団長となった。オウム真理教の破産手続きにおいては、犯罪被害者の持つ損害賠償債権が税金債権に優先するという特例法を制定。破産手続き終了後、「オウム被害救済法」を成立させ、破産手続きで救済されない分も救済するようにした。
労働と憲法教育―実際の権利行使の仕方を徹底する
 憲法27条、28条の勤労の権利、団結権など覚えただけでは役に立たないので、労組の作り方、団交の仕方など高校卒までに実際に教えておくべき。日本は「憲法はありがたいな」とまだ言っている段階で、憲法の権利を行使する仕方が徹底されていない。戦後の憲法教育の一番の問題は、現実的な権利行使を教えていないことである。
知事選、一方的な一本化問題
 知事選の1本化問題は、「私におりろ」という一つの運動だった。「当選もしないのに何で出るのか、このやろう」と、サラ金の時と同じような脅迫電話が事務所に何本も。細川さんに会ってもいないのに要請に来られた市民運動の人も。
著名人探しでなく運動の中でスターを生み出す
 あれだけ闘えたのは市民や市民団体に政党・団体が支援したからで完全無所属で出るという問題でなく、市民運動の弱さを自覚すべき。もっともっと東京の市民運動、労働運動を強め、そうした運動の中でスターを生み出すことが求められている。
政治にもっと接近する市民運動をどう作って行くか 
 日本の市民運動は政治と一線を画しているところがある。デモや集会だけでは政権を打倒できない。デモや集会と同時に選挙で支持を増やして勝ち上がっていくことが必要だ。国政選挙で勝ち、多数派になることを目指すべき。微力と微力をつなげる柔軟な活動を続けていこう。

参加者の感想「すばらしいお話、今後の生き方に勇気がでてきました」「本音で生きて、本音で語られる姿勢に感動しました。楽しかったです。元気が出ました」「貧しさから、正義感の強い純粋な人柄が形成されたことなど、心を打たれました」等々、感動的な感想が寄せられました。
(写真は上から順に、宇都宮さんのお話に165人が感動、司会のDJくま、こと、井佐哲郎さんと宇都宮さんのトークセッション、オープンニング演奏のSoRAさん。ハーフタイム演奏の赤座仁さん)

2014年10月1日水曜日

   東京革新懇代表世話人
   堤 敬さんを偲ぶ
荻原 淳
 東京自治労連中央執行委員長
堤敬さん急逝の報に接し、あまりに突然で呆然とするばかりでした。つい先日会った時のおだやかな話しぶりから、今でも信じられない気持ちです。
堤敬さんは、東京自治労連委員長を退任後、専門委員として組織を代表して民主団体等の役員となり、運動の交流や取り組みの反映に力を注がれました。
堤敬さんは、25年前、たたかう自治体産別組織を東京で立ち上げるため、大きな力を発揮されました。東京自治労連委員長の4年間は、東京と全国の自治体労働運動で中心的な存在として奮闘されました。後半は東京地評議長を兼任し、首都東京の労働運動の前進にも貢献されました。
激務で大変な中でもつらい顔は決して見せず、常に闘いの先頭で指導力を発揮されました。鋭い追及、迫力と説得力ある討論や演説、間違ったことは許さない強い信念、組合員のことをいつも考え、正しい方針と展望を示す。運動の指導者として卓越した力量の持ち主でした。労働運動、社会変革の活動家のあるべき姿を、私は教えられました。

役職を継いだ者として、堤敬さんの遺志を継いで、不屈に闘い続けていくことが、何より大切と思います。ご冥福をお祈りします。

堤 敬さん略歴 
 19487月北海道生まれ
 都職労経済支部書記次長・会計・副支部長
 自治体労連都職労協議会事務局次長として産別組織結成で奔走
 都職労賃金社会保障部長
 都庁職執行委員・書記次長・副委員長
 東京自治労連書記長・中央執行委員長
 東京地評議長

 2014825日逝去66