2013年6月6日木曜日

最近思うこと
 橋下徹氏の真意、
   これは「緋文字」か
 作家 小中陽太郎 

橋下徹日本維新の会共同代表による「慰安婦発言」は、肝心の橋下代表が、様々に居直り、果ては新聞を誤報だとまで言い出す始末だ。
 発言を整理すると、513日の大阪市役所での最初の記者会見は、奇しくも「革新懇」からエッセイ第1回の依頼のあった日である。それから今日まで15日間ウオッチしてきたが、原稿の締め切りだ。これまでの橋下市長の手口は、爆弾発言をしては言い抜けるばかりで頭も尻尾もない。
橋下市長の最初の発言と弁解の中心は「銃弾の飛び交う下、慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」(513日発端)としたあとで、「私自身が必要と考えると誤報された」(27日、日本外国特派員協会)ということにあるだろう。
 しかし素直に読めば誰だって分かることは、それなら「戦争のもとでは必要だ、と当時の人はおもったが、しかしそれは私の考えではない」言ったのならともかく、いまわざわざ当時の人が頼んでもいないし、そういう遺書が出てきたわけでもないのに、ことあらためて、「戦争のもとでは必要だった」という真意はなんだろう。それは「戦争には、兵士も弾薬も、そして慰安婦も必要だった」というのだろう。そしてそこから一直線に沖縄の司令官に風俗業を活用せよ」と助言したとは、「いま沖縄の米兵は戦争状態にある」と考えていることを示している。
最後に根本的に、橋下市長の発言の最大の問題点は、戦争中であれ、占領下であれ、性のはけ口として必要とされ、強要された女性の屈辱への思いが皆無であることである。

 外国特派員協会では、米軍に風俗業の活用を助言したことを謝罪したそうだが、謝罪すべきは風俗業にはたらく女性、広げれば業者に対してである。後世、占領統治下の占領軍立ち入り許可店に アプルーブドを示すAという文字が貼られていた。まるでホーソーンの小説「緋文字」のように。ここで働いた女性がこの陰には行政の指導があったと損害賠償をおこしてきたら、橋下市長の発言は立派な公的証拠とはなるのではなかろうか。