酒は灘だ伏見だ、いや米どころ新潟だ、などとよく言われるが、冷蔵の技術や輸送の手段の乏しかった時代ならともかくも、昨今においては地域の差はさほどない。大事なことはどういう酒を造るのかが、酒造りに対する蔵元の考え方である。
東京には十の酒造場がある。唯一23区内(北区岩渕町)に残る小山酒造場、府中の野口酒造場、東村山市の豊島酒造場、八王子市の小澤酒造場と中島酒造場、福生市の田村酒造場と石川酒造場、あきる野市の中村酒造場と野崎酒造場、青梅市の小澤酒造場である。これら東京の酒造りの特徴は、すべて小規模生産でありオリジナリティに富んでいることだ。日本酒(純米酒)はもともと大量生産の出来る様なものではない。一人の杜氏が責任もって造れる量は、頑張ってもせいぜい2千石程度と言われている。しかし大手酒造メーカーでは、例えば白鶴は34万石、月桂冠は32万石、松竹梅が24万石、以下、大関、日本盛、黄桜等々大量の出荷データ(2,004年、日本経済新聞社)が並ぶ。こうなるともう蔵と呼ぶにはふさわしくない、アル添清酒(蒸留したアルコールを加えた酒)の大量製造工場である。その点東京の酒造りは、大半が4百石から千石の小規模生産だ。単に造りが少なければよい酒というものではないが、造りの全工程に杜氏の目が行き届き、責任をもって管理できるという点ではよい条件を有しており、東京の蔵元はそれぞれ創造的に酒造りに励んでいる。なかでも私は、あきる野市野崎酒造場の「喜正」を東京の地酒の筆頭に挙げたい。「喜正」は、蔵正面の戸倉城山より湧き出る伏流水を仕込水として用い、頑なまでに昔ながらの酒造法を守っており、今でも甑(こしき)で米を蒸かしている。さらに驚いたことに蔵人は3人だとのこと。わけても銘米の誉れ高い「山田錦」を50%まで磨いた「喜正」の純米吟醸酒は実に旨い。ほのかな吟醸香と飲みこんだ時に時に鼻腔に感じる清々しさ、味は雑味がなく風格さえ感じる。毎日でも飲みたくなる酒である。しかし残念ながらこの酒はあまりにも少量生産のため、蔵でしか入手出来ない。豊島酒造が出している「屋の守」(おくのかみ)という純米吟醸酒も旨い酒だがこれも少量生産のため購入できるのは多摩市の小山酒店だけである。さらに極め付きは、多摩産の純米吟醸酒「原峰のいずみ」だ。これは、多摩市の小山酒店の三代目、小山喜八さんが地元の農家と心を一つに3年かけて完成させた地酒である。田植えも稲刈りも参加者を募って行い、造りは福生市の石川酒造場に依託している、まさに地酒中の地酒である。あまり知られていないが、東京にはよい地酒があるのだ。
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