2015年3月8日日曜日

最近思うこと

安倍首相の最近の言動に異常な危機感
小山弘泉
東京宗教者平和の会事務局長
浄土真宗本願寺派僧侶
東京革新懇代表世話人 

危険な安倍首相は退陣を
 安倍首相の最近の言動には異常な危機感を感じます。今国会で、憲法の平和主義を変えて「戦争する国」づくりに最大の狙いがあることを示しました。
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、また同じ危険に陥りやすい」とは、先の大戦の反省から、ドイツ・ワイツゼッカー元大統領が述べたものです。
国民の声を聞く耳を持たない安倍首相は、日本会議の右翼メンバー閣僚で「戦争する国」への一層の暴走を強めている危険な内閣です。早くやめてもらいましょう。 
子どもながらに戦争の悲惨さ実感
 私は、子供の頃に母から、よく戦争の話を聞きました。祖父は日清戦争で流れ弾が頭を貫通、半身不随の生活を余儀なくされました。第二次大戦では、父親や3人の叔父たちも戦場に駆り出されました。母方の一番下の弟は、25歳の若さで、特攻隊員として沖縄戦で戦死しました。
戦争の無慈悲さ無残さに怒りがこみあげたことを想い出しています。戦後70年、私も古希を迎えました。子ども3人、孫2人のお祖父ちゃんです。戦争に子どもや孫を出す訳にはいきません。 
戦争協力に教団も懺悔・告白
 第二次大戦では、日本の各仏教教団も体制翼賛会に合流し、戦争に協力しました。戦後は、多くの教団が懺悔・告白し、「反戦」を誓いました。
 お釈迦様は、「殺すな、すべての世に平安を」と教えています。他の経典では、「国々が栄え、人々は安らかに生き、軍隊も武器もいらない」(=国富民安・兵戈無用)と説いています。

 『憲法九条』を変え、「戦争する国」など、断じて許せません。東京宗教者平和の会は、平和と民主主義、政治革新を求め、参加できる唯一の共同団体である東京革新懇の発展を期待します。国民的大運動で「戦争する国」阻止しましょう。
古賀義弘さんをしのぶ
        武藤昭夫(東京革新懇代表世話人) 

 古賀義弘先生の奥様から「夫が1月12日に亡くなり家族で見送りさせて頂きました。後日しのぶ会を関係者の方々で行って頂くと伺っています」と知らせを頂きました。入退院を繰りかえしておられましたが、まさかの訃報でした。
 古賀先生とは、練馬革新懇発足(1985年9月結成)までの2年間の議論を重ねた頃からのお付き合いでした。
革新懇結成にあたって、新たな団体を作れば屋上屋だ、社共分裂の持ち込みだ、住民運動の分断だ等の意見でまとまりませんでした。この議論の中で、古賀先生は、団体や組合を壊すのではなく、国を変える3目標で活動して行くのが革新懇だ。従って、一致するところで共同していくことが重要だと主張された。その間、理解を得ることに粘り強く努力され結成されたのです。先生は、練馬革新懇と東京革新懇の代表世話人を歴任されました。
古賀先生は、「何よりも人と自然を大切にする練馬区をめざす区民集会」代表、「練馬文化の会」代表など運動に関わり、11年4月に区長選挙に出馬されました。この選挙でも労働組合、住民運動、政党などと統一戦線の立場を貫き通したたかいました。
古賀先生の思いを輝き続けさせるために、革新3目標達成させるため頑張ります。そのためにも、安倍暴走政権の一日も早い退陣に追い込むため全力を上げます。
古賀義弘さん(東京革新懇代表世話人)略歴 
1942年 福岡県生まれ
1970年 日本大学経済学部大学院卒
嘉悦大学教授・学長、嘉悦大学名誉教授、立教大学講師
2011年 練馬区長選挙に出馬
著書 
1985年 日本的経営の構造
1995年 わが国の産業構造の変化と都市化
2015年 新たな段階を迎えた日本の軍事産業


2014年12月18日木曜日

最近思うこと

  自然と向き合って
       渡辺皓司(画家、東京革新懇世話人)
 去る1122日長野県北部を震度6弱の地震が襲った。白馬村、小谷あたりは「塩の道」が通じ、春は田植え前の水面に映る、雪の白馬岳の美しい姿を想い出す。四季折々何度か歩いた道である。この美しい村を襲った大地震に胸が痛むが、崩れた家がありながら死者がなかったことに、ほっとする。
  自然は有難い恵みをあたえてくれるが、人間が抗することができぬ大きな力が災害も引起こす。「311」の大地震と巨大津波、近くは御嶽山の噴火があった。人間は自然には勝てないという確かな実感として人間に知らしめ、科学の力で自然を征服できると考える人間の思いあがりに、警告を発しているのではないか。福島の原発事故がそうだ。科学技術の力で地上に太陽をつくるなど身の程知らずの愚行ではないか。物質中心の経済成長、命よりカネ優先。今も汚染水流出、土地の除染もままならず、故郷を追われた被災者は家にも帰れない。原発再稼働など考えるだけでも罪深い。川内原発だけでなく総ての原発ゼロがよい。

 こうした物質中心の経済成長の陰で地球温暖化が進行したことは今や常識になっている。ここ数年の猛暑、豪雨、龍巻など尋常でない気象異常は日本だけでなく、世界に広がっている。水害、干ばつ、地球両極の氷解など自然界のバランスとリズムが崩れ、生態系まで狂わせている。熱帯魚の北上や蝶の空間移動は温暖化のバロメーターといわれる。

 こんな現代を私は、生き物の受難時代とイメージして絵を描いている。地球は究極の破滅まで行くのか、その不安も内包する。自然を畏敬し共生した古代の人々の心を引継ぎ、現代にどう生かして造形化したらよいか、大きな課題だ。だが現実の美しい地球をそっくりそのまま守ることが何より大事だ。これほど確かなことはない。

2014年11月1日土曜日

伊藤吉紀さんの97歳の生涯に学ぶ
       山崎 元(杉並革新懇代表世話人)     
伊藤吉紀さん(東京革新懇顧問)伊藤吉紀さんは97歳という長寿を保たれ、日本ベトナム友好協会の会長はじめ、東京革新懇・杉並革新懇の代表世話人、日本共産党杉並後援会会長、原水爆禁止世界大会実行委員会の国際部担当と多岐にわたり、政治活動、市民社会の運動と、生涯を通じて貢献されました。演説を終えるとすぐ、ビラを配りはじめるなど、活動の在り方を教えられました。
 伊藤さんが信奉した政治家は、ベトナム・ホーチミン国家主席。伊藤さんのシャープな国際感覚や造詣の深い歴史認識は、ホーチミン精神の継承とその研鑽の成果でもありました。明晰で的確な政治情勢などの判断力は希有ともいえるものでした。
 「ぞう列車がやってきた」で有名な東山動物園で、戦争中敢えてぞう舎の前に軍馬用の食糧の「ふすま」の袋の山を積み上げさせた三井孟中尉は、実は伊藤吉紀さんのいとこで、幼少の頃遊び合った仲だったといいます。この知られざるエピソードを偶然知りました。
 戦後70回目の秋、安倍政権の亡国政治により、日本の平和と民主主義はもっとも危機的な状況です。
 伊藤さんの生涯から学び、ご意志を継いで非核平和の世界と日本の政治革新をめざし奮闘することをあらためて御霊前に誓うものです。(写真は伊藤吉紀さん・東京革新懇顧問)


 

2014年10月23日木曜日

10/19東京革新懇人間講座

 心打たれた
「”人間・宇都宮健児”人生を語る」
 東京革新懇は1019日、「”人間・宇都宮健児”これまでとこれからの人生を語る―なぜ闘う生き方を選んだのか―」を開催、165人が参加しました。今井文夫事務局長が、平和と革新を進める上で豊かな人間づくりは、重要」と人間講座の意義にふれ、宇都宮さんらの努力で街中にサラ金の看板がほとんど目に付かなくなった。これほど社会に大きな影響を与えた運動はない、と開会挨拶。以下、宇都宮健児さんの講演と井佐哲郎人間講座運営委員(DJくま)とのトークセッションの要旨。
自分の家だけ貧乏から脱出していいのか
 開拓農家で苦労している親を楽にしたいとプロ野球選手をめざしたが挫折。勉強に集中して東大に入学。大学で「わたしゃそれでも生きてきた―部落からの告発」や「産炭地児童の生活記録集」を読み衝撃を受けた。みんなひどい生活をしているのに自分の家だけ貧乏から脱出していいのか、と思うようになった。人の役に立つ人になろうと弁護士に。
相談者の顔色が良くなりサラ金事件にやりがい
 サラ金事件で相談者の代理人になると、翌日から事務所に「早く金を払え、ボケカス、このやろう」とどんどん電話がかかってきた。しかし、弁護士がつくと、相談者の青白かった顔も元気を取り戻し、また、東北などからの出稼農民からの相談があると開拓農家として働いている両親の顔と重なり、とてもやりがいを感じた。弁護士事務所にたどりつけない数十万、数百万の多重債務者の救済のためにサラ金規制法やヤミ金融対策法などの立法運動に取り組み、出資法の上限金利を年109、5%から年20%に下げることができた。
多重債務の背後にある貧困問題に取り組む
 多重債務問題の背後にあった貧困問題に取り組み、「反貧困ネットワーク」を結成、多くの団体と取り組んだ「年越し派遣村」の運動は民主党政権が誕生するきっかけとなった。また、日本弁護士連合会内に「貧困問題対策本部」を設置した。
 運動の視点で、日弁連会長選挙や都知事選に挑戦した。都知事選を闘ったメンバーらとソウルを訪ね韓国市民運動の現状を学んできた。
弁護士の仕事―弱者の味方
 弁護士法第一条に「弁護士は基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とある。人権が守れていない人とは、社会的弱者である。私は、「弱者の味方をしろ」というのが弁護士法で言っていることだと受け止めている。
 また、目の前の事件を解決するだけでなくそこにたどり着けないたくさんの被害者を救済し解決するための制度を変えたり、法律を変えることも弁護士の仕事と考えるべき。
ヤミ金との闘いで29億円を被害者に
 ほとんど暴力団の資金源となっていたヤミ金は10日で4割、1日20割などと破格の金利をつけていた。暴力的な取り立てを警察に相談しても民事だからとすぐに取り扱ってくれず、また、押収金があると国の税金債権が最優先され被害者救済はあとまわしにされた。しかし、山口組系五菱会の梶山進のスイスの口座に50数億円が隠されていることがわかり、立法当局に働きかけて約29億円をスイスから返還させ被害者に渡すことが出来た。
 私の事務所にオウム真理教による一家殺害事件の坂本弁護士夫人がいた。事務所を退職した翌年1989年に事件が起きた。1995年に地下鉄サリン事件が起き、坂本弁護士事件の手がかりがあるのではないかと考え被害対策弁護団の弁護団長となった。オウム真理教の破産手続きにおいては、犯罪被害者の持つ損害賠償債権が税金債権に優先するという特例法を制定。破産手続き終了後、「オウム被害救済法」を成立させ、破産手続きで救済されない分も救済するようにした。
労働と憲法教育―実際の権利行使の仕方を徹底する
 憲法27条、28条の勤労の権利、団結権など覚えただけでは役に立たないので、労組の作り方、団交の仕方など高校卒までに実際に教えておくべき。日本は「憲法はありがたいな」とまだ言っている段階で、憲法の権利を行使する仕方が徹底されていない。戦後の憲法教育の一番の問題は、現実的な権利行使を教えていないことである。
知事選、一方的な一本化問題
 知事選の1本化問題は、「私におりろ」という一つの運動だった。「当選もしないのに何で出るのか、このやろう」と、サラ金の時と同じような脅迫電話が事務所に何本も。細川さんに会ってもいないのに要請に来られた市民運動の人も。
著名人探しでなく運動の中でスターを生み出す
 あれだけ闘えたのは市民や市民団体に政党・団体が支援したからで完全無所属で出るという問題でなく、市民運動の弱さを自覚すべき。もっともっと東京の市民運動、労働運動を強め、そうした運動の中でスターを生み出すことが求められている。
政治にもっと接近する市民運動をどう作って行くか 
 日本の市民運動は政治と一線を画しているところがある。デモや集会だけでは政権を打倒できない。デモや集会と同時に選挙で支持を増やして勝ち上がっていくことが必要だ。国政選挙で勝ち、多数派になることを目指すべき。微力と微力をつなげる柔軟な活動を続けていこう。

参加者の感想「すばらしいお話、今後の生き方に勇気がでてきました」「本音で生きて、本音で語られる姿勢に感動しました。楽しかったです。元気が出ました」「貧しさから、正義感の強い純粋な人柄が形成されたことなど、心を打たれました」等々、感動的な感想が寄せられました。
(写真は上から順に、宇都宮さんのお話に165人が感動、司会のDJくま、こと、井佐哲郎さんと宇都宮さんのトークセッション、オープンニング演奏のSoRAさん。ハーフタイム演奏の赤座仁さん)

2014年10月1日水曜日

   東京革新懇代表世話人
   堤 敬さんを偲ぶ
荻原 淳
 東京自治労連中央執行委員長
堤敬さん急逝の報に接し、あまりに突然で呆然とするばかりでした。つい先日会った時のおだやかな話しぶりから、今でも信じられない気持ちです。
堤敬さんは、東京自治労連委員長を退任後、専門委員として組織を代表して民主団体等の役員となり、運動の交流や取り組みの反映に力を注がれました。
堤敬さんは、25年前、たたかう自治体産別組織を東京で立ち上げるため、大きな力を発揮されました。東京自治労連委員長の4年間は、東京と全国の自治体労働運動で中心的な存在として奮闘されました。後半は東京地評議長を兼任し、首都東京の労働運動の前進にも貢献されました。
激務で大変な中でもつらい顔は決して見せず、常に闘いの先頭で指導力を発揮されました。鋭い追及、迫力と説得力ある討論や演説、間違ったことは許さない強い信念、組合員のことをいつも考え、正しい方針と展望を示す。運動の指導者として卓越した力量の持ち主でした。労働運動、社会変革の活動家のあるべき姿を、私は教えられました。

役職を継いだ者として、堤敬さんの遺志を継いで、不屈に闘い続けていくことが、何より大切と思います。ご冥福をお祈りします。

堤 敬さん略歴 
 19487月北海道生まれ
 都職労経済支部書記次長・会計・副支部長
 自治体労連都職労協議会事務局次長として産別組織結成で奔走
 都職労賃金社会保障部長
 都庁職執行委員・書記次長・副委員長
 東京自治労連書記長・中央執行委員長
 東京地評議長

 2014825日逝去66

2014年9月10日水曜日

最近 思うこと

虎視眈々と市場拡大を狙う軍事産業
古賀義弘
                嘉悦大学前学長
                東京革新懇代表世話人
 2015年度予算の概算要求が出そろった。その中で突出しているのが防衛省予算である。防衛予算は第2次安倍内閣から増額へと転換し、ついに来年度は5兆円超の規模に膨らむという。概算要求の中にはオスプレイ5機、P1哨戒機20機などが含まれている。また国産戦闘機のためのエンジン開発も政府は検討しており、何とも恐ろしい事態を迎えている。まさに「戦争する国」の準備そのものである。
 ストックホルム国際平和研究所『2010年版年報』によると、武器製造や軍事サービスの売上高は上位100社で約4,110億ドル(328,800億円)である。また売り上げ上位10社には、アメリカ系企業が7社あり、「戦争する国」を象徴しているようである。ちなみに第1位はロッキード・マーテイン社で、兵器売上高は約36億ドル(3兆円)の巨額に達している。かかる中で日本の軍事産業の地位は、三菱重工が25位の2,368億円を筆頭に、IHIグループ(57位)、三菱電機(64位)、川崎重工(68位)、NEC(70)である。
そこで防衛省では、関連する企業を研究メンバーとして加えた「防衛生産・技術基盤研究会」(2010.1214.6)を立ち上げ、この6月に最終報告書を完成させている。この研究会の目的を、①国内に保持すべき分野を確定して、その維持・育成を図ること、②防衛企業の収益リスクを抑制し、長期的観点から投資・研究開発・人材育成に寄与することと設定し、同盟国などと高い相互関連にある兵器などはこれらの国からの輸入や国際共同開発・共同生産を積極的に進めるという方向性を定めている。まさに防衛省と軍事企業との「WIN-WIN」関係の構築である。

「美しい国」の裏面には、醜くて恐ろしい「戦争する国」がより具体的に準備されている。軍事産業は市場拡大を虎視眈々と狙っている。