2014年7月31日木曜日

  田部章さんを偲ぶ
  子どもを愛し、
  共同のたたかいの大黒柱として 
             丁 弘之 (府中革新懇) 

 東京革新懇、三多摩革新懇の世話人で府中革新懇の事務局長を長年務められた田部章さんが7月4日、多摩総合医療センターで永眠されました。享年80歳。「お別れ会」が7日・8日の両日、府中の森市民聖苑にてご家族、親族を始め長年の友人・知人が多数参列ししめやかに執り行われました。

 田部さんは、長らく府中で教員を務め「私たち父母は、失礼ながら“たべちゃん”と呼んでいました。将棋や手作りの竹とんぼ、どんぐり笛など昔からの遊びを教えて下さり、いっしょに遊んで下さいました。子供たちを愛し、子どもたちがいつも笑顔で伸び伸び元気に遊んでほしい、それが一番の願いだったのでしょうね。“たべちゃん”は真の教師だったと思います」との弔辞がささげられました。退職後は教職員組合で培われた力を存分に発揮され、市民運動の先頭に立たれ「9条の会」、「憲法フェスタ」、また原水協理事長として奮闘されました。なかでも府中革新懇の事務局長として地域の平和・民主、革新の共同のたたかいの文字通り大黒柱として生涯を全うされました。「教え子を再び戦場に送らない」が田部さんの原点。若者の命と人生を奪う安倍内閣の暴走。「火を継ぐ者」として遺志しっかり受け継いで行きたい。

2014年7月30日水曜日

最近思うこと

日常の暴力、貧困と差別を無くす闘いを反戦平和の力に 
中島明子
 和洋女子大学教授
 東京革新懇世話人

安倍政権は、憲法解釈を捻じ曲げて集団的自衛権行使の容認を強行し、日本は「海外で戦争のできる国」に大きく足を踏み出した。71日は、戦後史を大きく変える日になるかもしれない。これにより日本の自衛隊員(若者)が、戦後初めて人を殺し殺される事態になることを、安倍首相は、7月の衆参予算委員会で否定しなかった。「戦争のできる国」とは「若者が戦争で血を流す国」になることで許せない。
同時にこの動きを肯定する人々がいることを私は考え続けている。7月中旬に発表されたNHKの世論調査では、安倍政権の支持率は下がったとはいえ47%あり、集団的自衛権行使容認については、評価しない人が56%ある一方、評価する人々が38%いる。
 戦争の悲惨さを経験した人々や、私のように敗戦直後に生まれ、憲法の平和・民主主義・基本的人権・男女平等の精神を浴びて育った世代は少数になった。今改めて平和の構築のための新たな戦略が必要だろう。
日常における様々な暴力の容認は、究極の暴力である戦争を容認することにつながる。格差社会の拡大は、差別や偏見を増長し、多様な価値観をもつ人々との共生を後退させ、敵害心をあおる。
同時に、モノ言わぬ国民づくりが私たちをがんじがらめに縛ろうとしている。その頂点が特定秘密保護法だが、私たちの足元からも浸透している。雇用者の1/3の人々が非正規雇用にあり、とりわけ若い人々が増え、不安定な収入と無権利状態に苦しんでいる。大学生の半数以上が何らかの奨学金を利用し、数百万円の借金を背負って卒業する。こうした状況下で若者が声を上げられるのか。軍隊への道に踏み込むかもしれない。
 日常からの暴力をなくし、貧困と差別をなくし、誰もが自由で幸せな人生を全うできるための様々な闘いが、反戦平和への道につながるのかと思う。



2014年6月7日土曜日

インタビュー

 立憲主義なんだから、
 憲法をしっかり踏まえて…
 「戦争は惨めだった。平和の
   大切さは身にしみている」

前世田谷区長 熊本哲之さん

3年前まで世田谷区長でありました熊本哲之さんをご自宅に訪問し、今、焦点の集団的自衛権をめぐる問題についてインタビューを行いました。

Q今、問題になっている集団的自衛権についてどうお考えですか
日本をめぐる環境は近隣諸国と大変厳しくなってきている。ベトナムでも東シナ海でもそうだ。一触即発の状況だ。周辺で核で脅かされている。核がない日本は、日米同盟をしっかりし、アメリカの核の傘のもとで、国民の平和と財産を守るのが現実的と思う。  
いま、一国だけで平和を守れなくなってきていることが、今回の集団的自衛権の発想と思う。集団的自衛権は必要と思っている。 
Q日本国憲法についてはどうお考えですか
憲法を改正しなければならない事項は沢山ある。都市開発をやるのに私有権が強すぎる。それは憲法にある。いまあらゆることが環境、環境となってきている。憲法制定時に環境など念頭になかった。今の憲法が悪いのではなくて、変えるところは変え、足らないところを補っていかなければならない。 
Q一内閣の判断で憲法解釈が変えられるなら、次の内閣がまた変えるかもしれないと思いますが
政府解釈の変更を軽々にされては、内閣によって日本が右に行ったり左に行ったり、国民の意思にそぐわないといいうことはありうる。国民の声をしっかり聞いて、改正するのが正当だ。 
Q安全保障の問題で焦点は中国と思いますが、日中国交回復の時に、尖閣諸島問題を棚上げするとの中国側の提案(日本の実効支配を認めるとの譲歩)した経過を、石原都知事(当時)の動きで壊したのでは
尖閣諸島の問題は外交できちっと解決しなければならない。いまからでもしっかり話し合わなければならない。 
Q安倍首相は「限定的に容認」としていますが、根本の憲法解釈を変えるわけですから、「限定的」も変えられるのでは
立憲主義なんだから、やっぱり憲法をしっかり踏まえるということにしなければ。それを逸脱するということでは如何なものか。 
Q戦争体験はおありですか
終戦の時は中学2年だった。学徒動員で呉の海軍工廠に行っていた。米軍に爆撃されて山の隧道に移り、飛行機の尾翼なんかのジュラルミンをヤスリで削っていた。飛行場でグラマンの機銃掃射で沢山の兵隊が亡くなった。
86日、作業にかかれと言われたときに、ピカドンとなった。モクモクと雲が立ち上り、その上に座れば天にいけるんじゃないかと思えるようなキノコ雲だった。家に帰ったら、親父が包帯を巻いていた。海軍工廠に行って若い職工と広島駅にいたところ原爆に遭い、「落下傘だ」と表に出た若い連中は全員亡くなった。親父は建物の下敷きになったが助け出されたとのことだった。
戦争は惨めだった。平和の大切さは身にしみている。

熊本哲之さんの略歴
賀屋興宜衆議院議員の秘書として政治活動スタート
都議会議員連続6期(その中で第35代都議会議長)
世田谷区長2
平成23年旭日中綬章受章

最近思うこと

9条に護られてきた「不殺生戒」
岸田正博(しょうはく)
 (隅田山多聞寺山主、
  東京革新懇世話人)

 ホトケの教えとは、「悪いことをしない。善いことをしなさい。心を清らかにしなさい。」(ダンマ・パーダ183)これだけ。だが、それができていれば、この世は極楽浄土になっているはずですが。悪いことは安易で快感。善いことは困難で苦しい。自浄努力はなおさら辛い。只でさえ惡に走りやすい私たちを辛うじて押し止めているのが良識とか優しさなどの人間らしさでしょう。
 しかし、殺人・盗み・レイプ・嘘・二枚舌・悪口・綺語・貪欲・怒り(報復)・邪見(誤ったものの見方考え方)という十惡の限りを尽くすのが戦争です。ことに最後の三つ貪欲・瞋恚・邪見は人間の心を汚す三毒と言われます。最終的に殺し殺される行為を正当化させるためには、人心をこれらの毒で冒すことから始められます。敵愾心・ヘイトスピーチの煽動や利益の飽くなき追求など、優しさや思いやりという人間らしさを奪うことが不可欠です。そのために、十惡強制への諸法制が進められている今です。
 かつて、日本の仏教者の多くは「聖戦」に協力し不殺生を破戒しました。先代住職であった父も、「大政翼賛会」会員でした。敗戦後から現在に至るまで、日本の仏教者が直接に十惡(戦争)の大罪を犯すことなくこられたのは、他ならぬ日本国憲法第9条という世俗(社会)の法があったことによります。日本の仏教者は仏教徒としての持戒を憲法9条によって護られて来たのです。
 国民の生命と財産、さらには不殺生戒を護持してきた憲法9条を、「惡を行い、善を退け、心を汚そう」という無明の企みへの光明として増進させていきたいものです。

2014年5月2日金曜日

最近思うこと

親からの遺産
早乙女勝元作家、東京革新懇世話人)

 この三月末で、八二歳になった。
 自分で自分のトシに驚き、あわてている。
 というのは、私は生まれた時から病弱だったからだ。一歳までに何度も大病し、数年しか生きられないといわれたほどの虚弱体質で、気の弱い子どもだった。
 家計は貧しい下町所帯のなかでも、特に極貧だった。両親は健在だったものの、父は定職のない大酒飲みのスネ者で、私の成長期には、ほとんど家に寄りつかなかった。
 母は女手一つの針仕事で、四人の子を育てるのに働き詰めだった。戦中の思い出といったら、寒さとひもじさばかり。やけ酒で身を持ちくずした父は五〇代なかばで他界したが、遺産らしいものは何もない。
 大学はおろか高校も出られなかった私は、一時期その父を恨む気持ちもあったが、今にして、彼は大変な贈物を残してくれたものだと、思うようになった。もう二度と戦火に逃げまどうことなしとした、日本国憲法である。
 むろん、私の両親がその憲法の成立に関与したわけではないが、憲法誕生時の、国民の一人であったことは間違いない。
 その大事な平和のバトンを、もしも私の代で失うとしたら、あまりにも不甲斐なく慚愧に堪えない。死んでも死にきれぬという表現は好きではないが、そんな気持ちが、ふと胸をかすめるようになった。
 私にも、子どももいれば孫もいる。次世代に、私が両親から受け継いだ平和のバトンを、手渡さずにおくものかと思う。そう思えばこそ、もうひとふんばりの日々である。

 おかげで、老人という感覚はない。一〇代から休みなしに書き続けて、一日四〇〇〇歩以上を歩き、足腰をきたえている。

2014年4月2日水曜日

最近思うこと

許してはならない安倍「教育再生」
   三上 満(教育家、東京革新懇代表世話人)
 いま安倍政権は、「戦争する国」づくりのために、子どもたちの心の中にまで手をのばそうとしています。それが自民党・政府・財界・靖国派が一体となって進めようとしている、いわゆる「教育再生」の策動です。
 第一次安倍内閣のときに、国民の大きな反対の声をふみにじって、教育基本法改定が強行されました。その最大の狙いは、教育の政治支配に道を大きくあけることでした。そして、可能となった政治支配をテコに、教育の目的に、愛国心、伝統文化の尊重、公共の精神といった目的を、子どもたちの心にすりこむことでした。それは安倍首相自身や自民党の歴史認識と結びついた教育目的です。
 今たくらまれている「教育再生」は、その狙いを、いよいよ実現しようと動き出したものです。
 そのひとつは教育委員会制度の大改悪です。教育委員会は教育の権力支配を排するために、政治から独立した権限をもつものとして、戦後教育の自主性を守る柱となってきました。一九五〇年代の「再軍備」改憲策動の中で、それは公選制から任命制に変えられてしまい、それによってかなり形がい化してきたことは否めません。
 しかしそれでも、政治の支配・介入をくいとめる役割を果たしたことも少くありません。いま沖縄県の竹富町で、あの育鵬社の教科書採択を拒否して教育委員会ががんばっているのもその一例です。文科省の「是正要求を出せ」という圧力に、沖縄県教委も応じていません。今や安倍政権にとって教育委員会も目障りな存在なのです。この教育委員会を、ほとんど権限のない諮問機関のようなものに変えてしまおうと言うのです。
 この策動を許さないたたかいとともに、この機会に、教育委員会について学び、関心を持ち、ほんらいの機能を持ったものに変えていく取り組みが求められています。
 もうひとつの重大な問題は、教科書の問題です。
 「特に高等学校の歴史教科書については、いまだに自虐史観に強くとらわれるなど、教育基本法や学校指導要領の趣旨に沿っているのか疑問を感じるものがある」
 これは自民党教育再生実行本部が出した文書にある言葉です。戦争についての真実、日本軍の犯した罪、それらへの反省などを、「自虐史観」と攻撃し、こういう教科書では愛国心は育たないと言うのです。これは安倍首相自身が、もっとも強く抱いている歴史認識に他なりません。
 文科省はすでに教科書検定基準を変え、教育基本法の目的に沿わない教科書は不合格とするという方針を打ち出しています。それは彼らのいう「自虐史観」に立つ教科書を一掃するということです。これはまさに「戦争する国」づくりの意図と結びついたものです。 「道徳」を教科に格上げして、通知票の評価もできるようにするというたくらみも進んでいます。
 集団的自衛権をみとめ「戦争する国」になっていくのか、憲法をしっかり守って平和のために貢献する国になっていくのか、いま私たちがさしかかっているこの岐路の中で、教育の問題も、きわめて重要な課題になっているのです。
 教育は、子どもたちの心に希望をはぐくむ営みです。それは教育のただひとつの座標軸です。それ以外のものを座標軸に据えたとき教育は必ず歪み、子どもたちから離れたものになります。教育を「戦争する国」づくりの具にしようとする策動の、いちばんの犠牲者は子どもたちです。いまほんとうに、子どもたちを守るための共同を広げなければなりません。

2014年1月29日水曜日

最近思うこと

「はだしのゲン」攻撃と都教委
有原誠治映画監督、
 東京革新懇代表世話人)
昨年八月に松江市でマンガ『はだしのゲン』閉架措置が露見し、国民的批判の中でその措置は撤回された。だが、『ゲン』への攻撃はいまも続いている。攻撃しているのは、新しい歴史教科書をつくる会とそこにつながる草の根の右翼。原作者中沢啓治さんが原爆投下をもたらした要因として、侵略地での日本軍の蛮行を描き、昭和天皇の戦争責任に触れて描いた部分を取り上げて、教育現場からの撤去を求めている。
昨年の秋。私の仕事場のある練馬区の教育委員会には陳情という形で、東京都教育委員会には請願という形で、「はだしのゲン」の教育現場からの撤去をもとめる要望が出された。松江市で勝ち取ったものを練馬や東京で後退させるわけには行かない。友人たちと相談し、『はだしのゲン』の自由閲覧の維持を求める運動を展開した。
122日の練馬区教育委員会は、教育委員全員が陳情について発言し、「特定の図書を問題にすることは、検閲を禁止している憲法21条に触れる」「現場の先生方の図書選定を尊重し、統制しない」などの発言があって、全員一致で撤去を求める陳情などを不採択とした。一方、東京都教育委員会は19日に審議があって、ここも友人たちといっしょに傍聴した。都の教育委員会は、「さまざまな図書館資料がおかれることが必要である」などの理由から請願には応じないとする回答が採択された。そこは良かった。だが、『ゲン』については「暴力的な表現など、その一部に教育上配慮が必要な表現がある」とし、それを受けて、「我が国と郷土を愛する態度や、国旗、国歌の意義などについて、児童、生徒を正しい理解に導くよう、都立学校や市町村教育委員会に対して指導、助言を行ってまいります。」と、強引にまとめていた。これではまるで、統制ではないか。