2017年7月29日土曜日

憲法施行70年を記念して
ドーナツ状の運動の輪を
    早乙女勝元(作家、東京革新懇世話人)
 戦時中、少年時代の私のあだ名は「負元」でした。クラスの中でも早生まれのチビで、何をやっても負けてばかり。男子の進路が軍人一辺倒だったのに、私はとても軍人にはなれそうもない気の弱い子どもでした。
 八月一五日に戦争が終わり、海軍に招集された兄が復員してきて、新憲法の内容を教わった時の感動は、忘れることができません。日本は「永久に」戦争はしないと内外に誓い、そのためにありとあらゆる軍備は持たないと、第九条で明記したのです。ああ、軍人にならずにすんだ、B29の大空襲で生き残って、平和国家の建設に立つんだと、心をはずませたものです。
 大学も高校も出られなかった青春期でしたが、宮澤賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」を座標軸にして、賢治の理想を実現するためには、憲法第九条が役に立つかも・・・などと考えた日より、七十余年の「戦後」が過ぎていきました。
 ところが今、この国の政治は、新たな「戦前」に突入しようとしています。秘密保護法から集団的自衛(ほんとうは戦闘)権、そして戦争法に共謀罪と、ハンドルもぶっこわれるような右旋回です。共謀罪はいちはやく施行されましたが、法務大臣が戦時中の治安維持法を「適法だった」の答弁には、ぞっとしました。すると、小林多喜二の虐殺も「適法」に入るのでしょうか。
 総理は、第九条の改憲を、来年の通常国会に提示して、早ければ六月頃の発議を目指すと公言しました。これがもしも通った場合には、自衛隊の海外での武力行使が無制限にOKになります。とんでもない暴言で、まさにアブナイ閣です。
 戦後日本の平和と民主主義は、最大のピンチを迎えたのです。
 「これはやばいぞ」「これはおかしいぞ」と思う方は、そう声に出して一歩前へ。そして二歩三歩よりも、身近な誰かさんと手をつないで、共にまた一歩前へ。そうしたドーナツ状の運動の輪作りが急務だと思います。
 「沈黙は大罪なるを知れよ君 今叫ばずば千載の悔」と詠んだ人がいますが、八五歳の私も、子どもや孫たちの未来のための、一文となりました。

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