2013年5月31日金曜日

東京革新懇結成時からの
世話人
佐野洋さんを悼む
高岡岑郷(東京革新懇代表世話人)
 
  推理小説界の重鎮で、日本推理作家協会理事長も務めた佐野洋(さの・よう、本名:丸山一郎〈まるやま・いちろう〉)さんが4月27日夜、肺炎のため川崎市内の病院で死去しました。八十四歳でした。
 1981年・東京革新懇の結成時から世話人を務め、15周年、20周年の記念美術展のバザーでは、新刊文庫本を数点・50冊以上も提供されて財政活動の協力をいただきました。全作品を読破し大フアンを自認する私は、その折りに自宅へ伺って歓談の機会を得、気さくな人柄にも触れることができました。マスコミ九条の会よびかけ人にもなられていましたが、昨年、連載掲載誌でアルツハイマー病であることを告白され、年末から入退院を繰り返されていました。東京革新懇結成からの先人がまた逝ってしまわれました。時の刻みを止めるわけにはいかないのですね。
 佐野洋さんは、東京大学文学部在学中に詩人の大岡信さん、作家の日野啓三さん(故人)らと同人雑誌「現代文学」を創刊。卒業後は読売新聞記者の傍ら推理小説を執筆、「銅婚式」で作家デビュー。1959年に退社。「一本の鉛」など社会推理小説の書き手として注目されました。短編小説の名手として作品は一千点を超え、1997年に日本ミステリー文学大賞を受賞。月刊誌「小説推理」で39年間連載のミステリー評論「推理日記」で2009年に菊池寛賞を受けました。また、警察による盗聴事件(1986年発覚)の被害を受けた緒方靖夫日本共産党国際部長(当時)の裁判を支援し、この事件をもとに小説「卑劣な耳」を執筆。布川事件の冤罪被害者の支援にも取り組まれました。
【佐野洋さんの略歴】1928522日生まれ。東京市大森出身。旧制一高に首席合格、東京大学文学部心理学科卒業。1953年、読売新聞社に入社。当初兼業作家だったため、ペンネームは「社の用」にかけて付けたとのこと。1959年に退社。黒岩重吾に「血や汗を流していない小説」と批判され、「むしろ賛辞と受け止めたい」と返したほど知的遊戯としてのミステリを貫きました。
作家同士の交友に積極的で、多岐川恭、河野典生、星新一、水上勉、結城昌治らとともに若手作家の親睦団体「他殺クラブ」を結成、のち笹沢左保、大藪春彦、都筑道夫、生島治郎、戸川昌子らも加えて70年ごろまで活動しました。
1973年より「小説推理」誌に「推理日記」を連載。ベテランの実作者による推理小説時評として、さまざまな反響や議論も呼びつつ執筆は39年に及びました。
実弟の丸山昇は中国文学者で東京大学名誉教授。兄弟ともに日本共産党の支持者として知られます。
佐野洋さんは、全国革新懇、東京革新懇の結成時から世話人を受けて頂きました。「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人も務めていました。
 2013427日、肺炎のため死去、84歳でした。


2013年5月22日水曜日

全国革新懇第33回総会開く  5月18日
「国民が主人公」の政治へ向かう
 新しい局面に一歩進む・・・激突の情勢
下写真は、「報告と提案」を行う三上満全国・東京代表世話人。その右から大黒作治、小林武、志位和夫、谷内口浩二、畑田重夫、牧野富夫代表世話人ら。
220人が参加し、充実した議論に!
「今年の2月以降28の革新懇が36回にわたり憲法学習会をした」と発言する東京革新懇の今井文夫事務局長
西武線各駅でのピースアクション(憲法宣伝・署名。現在92駅中30駅で行った)や世話人会の定例化など、うまずたゆまず行ってきていると話す西武革新懇青木静子代表

2013年4月30日火曜日

「ガチトークはじめました。
      青年革新懇」
   死刑制度を考える第2回討論会 4月20日
 「ガチトークをはじめました。青年革新懇」は420日、「死刑制度を考える」討論会を開催。弁護士の緒方蘭先生を招き、12名が参加。
 刑罰の根拠を学び、死刑の成り立ちを考えて「なぜ国によって刑罰が違うのか」「死刑反対も賛成も犯罪のない社会を目指していることがわかった」などの感想が寄せられました。

2013年4月4日木曜日

 青年革新懇全国交流会
 全国から170人が参加、
 熱気あふれるつどいに(3/2324広島)
東京から参加した3人の青年の感想

首都でのたたかい広げたい
岩崎明日香さん(民青都委員長)
323日・24日に広島で開催された「青年革新懇全国交流会」に参加しました。雨宮処凛さんを迎えたトークや各県の活動報告では、青年が生きづらさをかかえさせられている社会のなかで、311後、声をあげ、政治を変えようとする行動の広がりや可能性を実感しました。   
また、全体会後は、「原発被害と対策」の分科会に参加し、福島の青年の「親から『あなたたち子どもだけでも避難しなさい』と言われた」「あらゆることに線引きがされている」などの痛切な実態や思いをきくとともに、広島で被爆2世として被爆者運動にとりくんでこられた方のお話をきくことができました。各県から参加した青年が「地元の原発を再稼働させないために頑張る」と改めて決意表明する姿を目の当たりにして、原発ゼロの日本を全国の連帯でつくるために首都でのたたかいを広げ、国政革新を実現したいと強く思いました。
今後の発展につなげたい 
大山円佳さん(「本気(ガチ)トークはじめました。青年革新懇」)
青年革新懇全国大会は、初日は雨宮さんの講演と夜の交流会、二日目は分散会でした。講演には全国から170名、交流会には90名を超す仲間が全国から集まり熱気あふれる大会となりました。参加者は民医連・民商・労組専従の割合が多く、まだ広がりを作りきれていない状況の反映と思いました。それとともに、これらの分野は社会の矛盾が端的に表れるところでもあり広く市民に溶け込んでいく余地があります。どのように市民に溶け込むか、市民が求めていることは革新懇が目指している社会と同じだというメッセージをいかに正確に伝えるかと思います。また、今の若年層は、自分の能力を高めたい、それを発揮できる社会を求めています。志を同じくするあらゆる市民・団体と手をとり新しい社会をつくる運動の中で革新懇が担う役割を考えながら今後の発展につなげていきたいと思いました。
考えさせられた青年交流会
山田幸輝さん(「本気(ガチ)トークはじめました。青年革新懇」)
青年革新懇の全国大会は、急な暖気の到来に一気に桜が開花した都心部とは違い、桜のつぼみは未だ硬く閉じられとても肌寒い中で開催されました。各地各方面から集まった若者の話を聞き、強く感じたのは「我々はこのままでよいのか?」という率直な疑問でした。どこの民主団体でも永遠のテーゼに近い問題ではありますが、青年革新懇はまだ産まれたばかりで、それが非常に顕著だと思います。他のサークルにはない青年革新懇の独自性を打ち出しつつ大衆を惹きつけ深耕できるイベントが必要だと強く感じました。今まで「ガチトーク」という形でそれを計ってきましたが、今回、初心に返り、考えさせられました。
冬来たりなば春遠からじ。咲かない桜はありません。
「本気(ガチ)トークはじめました。青年革新懇」がガチトーク
3月21日、鈴木猛国民救援会事務局長をお呼びして「死刑制度を考える」を開催。10人が参加して真剣に議論しました。

  


2012年12月21日金曜日

山田洋次監督が「3.11」後 2012年の家族を描く『東京家族』
東京革新懇は20117月、山田洋次監督をお招きし、「人間講座」(20夜)として、「『寅さん』から『おとうと』へ 人間の絆」を開催しました。この中で、201141日クランクインを目指していた『東京家族』を、311の東日本大震災、それに引き続き福島原発メルトダウンという歴史的な事件に遭遇し、製作を延期したことが明らかにされました。山田監督は、「311以後の東京を、或いはこの国を描くためには、どうしてもそれが必要だと考えたのです。」と述べておられます。新たに書き直した脚本で、『東京家族』は完成し、119日からロードシショーが始まります。(上写真、オープンした山田洋次ミュージアムにて、東京革新懇人間講座運営委員の角倉洋子さん)
この映画を推薦します
工藤芳弘(都教組委員長)
2011年4月にクランクインを予定だった映画『東京家族』は、3・11の東日本大震災、福島原発事故により制作が1年間延期された。東京の今、家族の今を描くということに制作の意図があったからだという。
3・11以降の東京、あるいはこの国に、それがどのような影を落としているのか。作品では、何気ない日常の一場面にあるそれぞれの「震災」や「原発」として描かれている。その思いの深さが、ほんのわずかな仕草、一言の台詞から、想像力を限りなく広げ、見る者の心深く突き刺ささってくる。それが、3・11以降の現実なのだと・・・。
『東京家族』には、特別な人物は登場しない。私たちが身近に感じられて想像できる人ばかりである。平山家の父・周吉は、元中学校教師という設定である。
しかし、橋爪功さん演じる元教師は、「どっかで間違ってしもうたんじゃ、この国は・・・」と絶句する。そして「このままじゃいけん」と繰り返す。山田洋次監督が震災による中断のあいだに書き直した重要なシーンだ。元教師が発するその言葉に、この作品における山田監督からの大きなメッセージが含まれている。
『東京家族』は、妻のとみこを亡くした周吉が、生まれ育った瀬戸内海の島で、これから一人で生きていくということで終わる。しかし、この作品に絶望感はない。むしろ、若い世代に対する希望とか期待のような思いが場面からあふれ出てくる。それも3・11以降の監督の思いではないだろうか。
映画のキャッチコピーに「これは、あなたの物語です」とあるように、「父母とどう向き合ってきたのだろう」「子どもとどう向き合ってきたのだろう」「家族の幸せとは何だろう」、そして「自分にとって家族とは」、そんなことを考えさせられる作品である。
山田監督は、1970年にも家族をテーマにした『家族』という作品を撮っているが、『東京家族』は、『家族』以上に「家族」そのものが主人公となっている作品である。(上写真、リニューアルした寅さん記念館)

2012年8月29日水曜日

第15回 真夏の夜の平和コンサート
会場いっぱいの参加者は、
  ピアノ弾きうたいに感動!! 
8月21日 三多摩革新懇実行委員会主催 
三多摩革新懇は、8月21日、恒例の真夏の夜の平和コンサートを開きました。300人を超す聴衆は、群読や朗読構成、国立音楽大学生による男声合唱に耳を傾け、真子masakoさんのピアノ弾き唄いに感動の拍手を送りました。

2012年7月19日木曜日


石原知事の尖閣購入計画と日中友好の道
真の友好の道は、
双方の指導者の品位と見識次第

中江 要介さん
  (元中国大使)
<石原都知事が尖閣諸島を東京として購入することを表明し、大きな政治的・社会的問題なっています。石原都知事は、国会の参考人として招致されたとき、「(中国側は)お前の家に強盗に入るぞと宣言したんだよ。この戸締まりをしない国というのは、間が抜けていると思いますなあ」と発言し、更に日本の丹羽駐中国大使が購入計画を「日中関係に重大な危機をもたらす」とコメントしたことを論(あげつら)って「もう少し自分の国のことを勉強して物を言え、じゃないと大使の資格はない」と罵りました。 
そこで、元駐中国大使の中江要介先生に、真の日中友好の道について、原稿を寄せていただきました。>

石原都知事の発言について、私の所見を求められましたので、以下に申し述べます。
第一は、石原都知事の人柄の問題です。私個人としては冒頭にあるような遣り取りから受ける印象としては、知事の人柄が頗る品位を欠いており、一日本人として甚だ残念に思います。芥川賞を受賞した作家で東京都知事に選出されたほどの人がこのような粗暴な言葉遣いで相手を誹謗する発言は通例の日本人にとっては大変耳障りです。
第二は、石原知事の某所における記者会見での発言(サンケイ筋によるネット情報)の中に丹羽駐中国大使のことを「だいたいだな、伊藤忠の社長ごときものをだね、そんなものをね、この日中関係のこういう大事な時に、大使として送る方が間違っている。尖閣の問題があった時に、例の衝突事件のときかな、真夜中に何度も呼び出され、そのたびに『はいはい』と夜中の三時に相手の外務省はなんのつもりか知らないが、出ていくのはばかだよ。おれは寝てるからって、日が変わってからにしろって言ったらいい。失敬千万だ、奴隷のごとく使われて。まあ、そんなもんだな、日本の外交官というのは」というくだりがありますが、このような発言からも石原知事という人がいかに品位を欠いた人物かが分かると思います。
第三は、「9・10日から尖閣に都の職員が行くということだが―」との問に対しては「あれ行きません。やめさせました。行くときはちゃんと東京都の船で行きますから」との答えなので「やめさせた理由は」との質問に対しては「政治色の強いグループということで自粛したというのかな、止めたようですよ」との答えなので「9・10日は今までで一番大規模で、国会議員6人と都議も参加するということだが」と更に質すと、「いいことじゃないですか。上陸してみたらいい。いかに峻険な島で、ある連中が苦労して志で灯台を建ててくれた。その灯台を外務省の腰ぬけがシナにおもんばかって、時期尚早と言って20年近くチャートに載せていなかった。こんなばかなことをする国はないね。あそこを航行する人間にとって生命の危険がかかわる、と言ったのに外務省は知らぬ顔をして、特にシナに憚(ハバ)かって時期尚早といってまた、歴代自民党もそれに従って来た。私はそういう自民党に我慢ならない。今の政府もよくないけどね。あそこを航行する日本人、シナ人、台湾人、朝鮮人沢山いるだろう。そういう船に乗っている人間の生命の安危を保証するのは、国家としての責任じゃないですか。それを果たせないで折角できたものをチャートに載せないことは却って危険なんですよ。そういうばかなことを延々とやって来た。云々・・・・」 
日中正常化40周年、真の友好の道を堂々と歩んでほしい
右に述べた三点を読み返しただけでも、「反面教師」として“真の日中友好の道”が那辺にあるかがわかるように思います。今年は石原知事自身も述べているように、日中正常化40周年という節目の年で、日中関係の大事な時に当たるのですが、最近帝国ホテルでの講演で、現在の中国の程永華駐日大使は、日中双方共どのような問題が起ころうとも、相手を唆(そそのか)したり、敵視して攻撃したりするようなことは極力避けることが賢明だと思うと述べていましたが、私も真の日中友好の道は、日中双方の指導者の品位と見識次第である、と考えます。私は、石原知事が礼儀正しく徳を備えた指導者として、傲慢を避け謙虚を忘れず、真の日中友好の道を踏み外すことなく堂々と歩んでほしいものと思います。(了)