畑田重夫さんを偲ぶ
野本春吉(大田革新懇事務局長)
戦前・戦中・戦後を生きた、尊敬された畑田重夫先生が十一月二十二に、九九歳で永眠されました。
二年間の軍隊生活、短い高級官僚、国立大学で教職、ラジオニュースの解説者(藤原弘達氏)、二度の東京都知事選挙の候補者など体験しました。
畑田先生は、一九六〇年全国各地での安保条約に反対する学習会の講師活動から、安保、憲法、沖縄、反核・平和、統一戦線運動と二〇二一年秋まで講師活動を続け、学習活動に一生をささげた人です。
お話は、政治情勢を深く分析、誰でもわかるようにやさしくわかりやすく、たたかう展望を示し、参加者を引き付け感動を与えるものでした。民青大田主催の「七夕の集い」で講演、畑田先生の話を聞いた青年達、四八名がその日、一日で民青同盟に加盟しました。私は、その日の事を今でもよく覚えています。
畑田先生は、学者として、一人の人間として、どんな人にも、分け隔てなく接して、誠実に向き合う人でした。そんな先生の魅力にひかれました。
「私は、畑田先生の話を聞いて変わった」の声は今日でもよく耳にします。多くの人たちに大きな影響を与えた教育者でありました。
先生は、たたかう仲間に支えられ、最高の人生を送ることができたと思います。
長い間、ご指導ありがとうございました。安らかにお眠りください。
戦前・戦中・戦後を生きた、尊敬された畑田重夫先生が十一月二十二に、九九歳で永眠されました。
二年間の軍隊生活、短い高級官僚、国立大学で教職、ラジオニュースの解説者(藤原弘達氏)、二度の東京都知事選挙の候補者など体験しました。
畑田先生は、一九六〇年全国各地での安保条約に反対する学習会の講師活動から、安保、憲法、沖縄、反核・平和、統一戦線運動と二〇二一年秋まで講師活動を続け、学習活動に一生をささげた人です。
お話は、政治情勢を深く分析、誰でもわかるようにやさしくわかりやすく、たたかう展望を示し、参加者を引き付け感動を与えるものでした。民青大田主催の「七夕の集い」で講演、畑田先生の話を聞いた青年達、四八名がその日、一日で民青同盟に加盟しました。私は、その日の事を今でもよく覚えています。
畑田先生は、学者として、一人の人間として、どんな人にも、分け隔てなく接して、誠実に向き合う人でした。そんな先生の魅力にひかれました。
「私は、畑田先生の話を聞いて変わった」の声は今日でもよく耳にします。多くの人たちに大きな影響を与えた教育者でありました。
先生は、たたかう仲間に支えられ、最高の人生を送ることができたと思います。
長い間、ご指導ありがとうございました。安らかにお眠りください。
畑田重夫さん(東京革新懇顧問)の経歴
全国革新懇・日本平和委員会・革新都政をつくる会顧問
1923年京都府生まれ
東京帝国大学在学中に学徒出陣
戦後、旧内務省を経て、名古屋大学助教授を務めた後、労働者教育協会会長や勤通大学長など学習運動に尽力
原水禁世界大会実行委員会議長団や日本平和委員会代表理事など長年にわたり反核平和運動の発展に尽力
1987年と1991年に東京都知事選に立候補
「わが憲法70年」「どうみる新しい内外情勢」など著書多数
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