2012年4月27日金曜日

山室勝司さんを悼む
  
中城 達雄(前西東京革新懇事務局長、
     元共産党都委員会統一戦線部長) 

19815月発足以来、専従事務局長無しで運営してきた東京革新懇に、871月山室勝司さんが待望の初代事務局長として就任しました。逓信省東京中央電信局員だった彼が、戦中、霞が関の海軍省の地下室で、サイパン島で玉砕した部隊に“応答せよ・・・”の電波を送りつづけ、“天皇陛下万歳”も受信したといいます。
 戦中、海軍の甲種予科飛行練習生だった私は、戦後間際に同期の仲間が金属パイプに布張りの練習機(赤とんぼ)で特攻訓練をさせられるのを見て「この戦争は負ける」との思いと、無駄死を強制する作戦に強い怒りを持ちました。こうした体験が山室さんや、私の戦後の反戦平和の活動の原点にあると思います。
 戦後の国際電電での労働組合運動のなかで、山室さんは、いつもニコニコと労働者の声に耳を傾け、要求実現の先頭に立ち、職場の仲間から大きな信頼を得ていました。
 山室さんのこうした人間性は、革新懇運動に参加された方々の多様な声・意見を取り上げ、縦糸・横糸を織りなして布を作り出すように、運動前進の糧になったと私は確信します。
 山室さん、安らかにお休みください。
(上写真、故山室勝司さん)

0 件のコメント:

コメントを投稿