松浦総三さん(東京革新懇・顧問)
1914年、山梨県生れ。1939年、渋沢栄一伝記資料編纂所入所。1946年、改造社入社。1965年、改造社解散により退社。以後フリーのジャーナリストとして評論活動に入り、東京空襲を記録する会代表、全国革新懇代表世話人、「東京都平和祈念館(仮称)」建設をすすめる会代表世話人など務めました。
1981年11月に開催されたシンポ『どうなっている?東京の地震対策』(主催;東京懇話会)において、今日にも教訓となる、次のような発言をされました。「関東大震災も、東京大空襲も人災である」「地震そのものの恐ろしさもあるが、流言飛語、デマがりょう原の火のごとく広がったことだ」「私が一番恐れるのは、そういう地震というチャンスを利用した憲法改悪や反動化だ。この点からいっても地震による“人災”を防ぐのは革新統一、革新政治が必要だと思う」。
反権力の立場を貫いた“仕事”歴から
土岐 島雄〈東京空襲を記録する会同人〉
自らの「職歴・仕事」を記したペーパー1枚を残して松浦総三氏が逝った。96歳・(2011年)7
月6日ガン死・近親者による葬儀。二週間後の新聞(朝日)23日付朝刊ベタ記事に気づき弔問する客に、それは配られた。A4判紙裏表、職歴(四項)につづく〝仕事〟歴は「書かれざる東京大空襲」(『文藝春秋』68年3月号掲載、54歳)に始まり、「『天声人語』の天皇と戦争」(2000年、蝸牛新社刊、86歳)で終わる30点余りの執筆・著作物に集約された。庶民意識の不在を嫌い、反権力の立場を貫いて選び記した。まさにジャーナリスト自らの仕事そのものを現している。

天皇制ウオッチャーの役が加わる平成に入り、天皇と空襲の関係三著を出すが、昭和の最後1988年(74歳)に『天皇をどうみる』(111人の直言、松浦総三編)を全国革新懇から刊行し、3万部を売っている。
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