2016年10月3日月曜日

榊原道夫さんを偲ぶ
端山好和
町田革新懇世話人

 榊原氏が828日に逝去された。氏は民主化運動にとってなくてはならない人物であった。町田革新懇は81年末に生まれるが、その先導役を果たしたのが榊原氏であった。また、米軍基地に囲まれた町田で「町田の空からジェット機の騒音をなくす会」や「教科書検定訴訟を支援する町田地区連絡会」結成にも積極的に参加された。また、01年のアメリカで起こった「同時多発テロ」に際して、ブッシュ政権が戦争を仕掛けた過ちを日本政府は支持し、「有事3法案」を国会に提出した。この時も有識者による反対のアピールへの共鳴を呼びかけたのは榊原氏を含む数人であった。私たちは、氏の活動を引き継いで更に発展させることを誓わなければなりません。

最後に個人的思いを表明することをお許しください。榊原氏は静岡大学で物理学を学ばれたのですが静岡大学は私の母校旧制静岡高校を前身とする大学です。とはいえ私は彼を後輩と思ったことはない。全く別の学校ですから。しかし、同じ場所で同じ校舎で同じ教授団の下で学んだと言うことは限りなく親近感をそそるものです。その意味でも榊原氏の早い死は痛恨事である。奥様とあちらの世界で末永く仲むつまじくお過ごし下れることを願って追悼の言葉といたします。
経歴
榊原道夫さん(東京革新懇世話人) 
  193274日生まれ。静岡大学卒業。
 東海大学教授。同大学名誉教授

 町田革新懇常任世話人
「写真撮ったら命はない!」
JCJ特別賞受賞
嬉野京子さんに インタビュー
 日本ジャーナリスト会議は、嬉野京子さんの50年間の沖縄取材に対して2016年特別賞を授与しました。嬉野さんは東京革新懇世話人です。

私の原点87
今回の受賞は戦争に向かう社会にさせないための受賞と思う。沖縄をはじめ日本全国の人に支えられながらきた。
194587日が「私の原点」だ。4月の蒲田大空襲で九州の祖母のところに疎開。その後、小さな部品工場を松代で再開せよとの軍の指示で、母が迎えに来て、兄や姉5人で85日夕刻汽車に乗った。私は4歳。翌朝広島の西20キロの廿日市で停まる。新型爆弾が落とされここから先へは進めないとのこと。再開の見通しのない列車で過ごし、翌7日に徒歩で広島市を突破。倒れている人が「助けてくれ」としがみついてくる。ぐちゃぐちゃの死体の中を歩いた。この体験が原点だ。
2部制の青空学校。教科書の墨塗、食糧難、高度成長、戦後のすべてを体験してきた。

沖縄復帰求めて行進
1963年の「赤旗」、428日に北緯27度線上で沖縄と本土から船を出して海上大会で交流、その一行が東京に向けて行進を開始したとの記事。新幹線が開通するときに何で徒歩かと強い関心を持った。取材したいと大井川まで行き、結局15日間一緒に歩いた。
 第2回の行進は64年、東京を428日出発し815日の海上大会まで歩く行進。太平洋と日本海の2コース。日本海コースにカメラマン・記録で参加したが、団長が急遽不参加で、沖縄代表と私が通し行進者。当時、沖縄からは運動経験者にはビザが出ず、私が団長を務め、行進受け入れの各地も初めてづくしのハードな110日間だった。各自治体に沖縄返還の意見書の要請、各地の学習会のチューター等々、私は鍛えあげられた。

1枚の写真の衝撃
 宗教・教育・マスコミ関係者にはビザがおりなかった。私は65年祖国復帰協大行進に参加するため、グラフィックデザイナーで申請しビザがおりた。鹿児島から那覇港へ。税関で「カメラはだめ」「命いくらあっても足りない」と止められた。必死に抗弁し「カメラを出すときは米兵がいないことを確認するんだよ」と通してくれた。最南端の摩文仁の丘を48日に出発し20日間行進。ベトナム戦争の最中で米兵が溢れていた。
 420日、宜野座村で子どもが米軍車両に轢かれて即死、現場に駆けつけた。行進団に「写真撮ったら命はない」「行進団が弾圧される」と言われたが、「沖縄の実情を伝えなければ分かってもらえない」と必至に訴え、1人が米兵の注意をそらしている間に、行進団員の肩越しに撮影。これが日本に世界に沖縄の実情の一端を伝え反響を呼んだ。

米軍が指名手配、山狩り
 67年に写真集を出すために伊江島に行き、阿波根昌鴻さんを訪ね、米軍の土地取り上げを取材したときには、米軍に指名手配され山狩りも行われるなど怖い思いもした。
 72年沖縄は復帰したが我々の求める復帰ではなかった。
 和光小学校が「戦争の本質を学ぶ」として沖縄に行くことになり、相談があり、6年生に何を見せ聞かせるか提案し軌道にのるまで同行、その後は節目の年に参加している。
 1995年の少女暴行事件の時も飛んでいった。
 アレン・ネルソンがニューヨークの自宅で海兵隊員の少女レイプ事件の報道を聞き、詳細不明で96年に沖縄に来て、岩波ブックレットも出すことになった。各地で講演、東京革新懇「人間講座」でも取組んでもらった。そのうち、彼は我が家を拠点に日本全国での公演活動を展開した。

沖縄が問うもの
今年20歳の女性が殺されたが、アレンが言いたかったことはこのことだ。海兵隊員は人間性を奪われ殺人マシーンにされ、いつ本領がむき出しになるか分からない。犯人は沖縄の女性と結婚し子どもまでいたが、海兵隊で教わった通りの殺し方をしている。
 辺野古、高江、伊江島は強固な基地にされようとしている。オスプレイを横田に持ってこようとしている。日本中が沖縄化されようとしている。対岸の火事ではなく、自分たちのところがそうなったらどうするか問われる。

 瀬長亀次郎は、祖国復帰協の中で、統一のため大変な労力を使い我慢・妥協しながらやっていた。統一は大変だが諦めずにやっていれば神様はチャンスをくれる。そのときにやるべきことをやる。一人一人が肩書きがあろうが無かろうがおかしいと思ったら声を上げていく。私は、知らず知らずのうちにいろんなことをやって今日まできた。

2016年8月23日火曜日

地域に広がった共同と
今後の発展・課題
地域共同に関わる
革新懇メンバーによる座談会
               7月12
今井文夫東京革新懇事務局長
 お集まり頂きありがとうございます。戦争法反対では東京のほとんどの地域に党派を超えた共同が広がるという画期的な到達となり、国会行動を支え、全国も激励した。各地の共同をどう発展させるかが本日の座談会の目的だ。
 最初に、各地域でどんな共同が広がったか、広げる上でどんな点に留意したか話して頂き、後半は、どう共同を発展させるか、留意点、個人の意見を含めて踏み込んだ発言を含めてお願いします。
野本春吉大田革新懇常任世話人
 大田では、第1回の宇都宮選挙の時から、1000人委員会と革新懇が一緒にやろうと話し合い、2回目の宇都宮選挙でも共同の取り組み行った。
 戦争法廃止では、戦争法廃止オール大田実行委員会が5野党に共同を申し入れ、野党共闘を求める蒲田駅の大規模駅頭宣伝を800人で行った。
 革新懇は、去年、一昨年の脱原発の取り組みで、幅広い人に呼びかけようと、元自民党区議会議長の大田区連合町会会長が「原発では右も左もない」と賛同してくれ、元民主党都議会議員の大田区連合老人クラブ会長も賛同、大きな流れができた。
 2000万署名では、そういう人に呼びかけ人になってもらい、町会長、老人クラブ会長、住職、保守層へと1800通郵送、1000人余の開業医にも呼びかけた。
 オール大田実行委員会では、共闘に慣れていない人も多く、ていねいな運営に心がけている。
内藤利治杉並革新懇事務局長             

 杉並は昔から市民運動が盛んだ。つくる会系の教科書の採択があって、党派を超えた市民運動がくり返されてきた。311以降、原発反対の運動が大きく動いた。運動のスタイルが全然違う。全体で議論して決まったことをやっていくスタイル。規模も大きくなったが長くは続かなく一定で収まってゆく。
 戦争法が出てくる中で、2015年に革新懇、アピールの会、9条の会とかいろんな団体が集まり、NOWAR杉並を立ち上げた。個人が参加の形。反原発運動のスタイルだが、持続的にやるため事務局を設置。連絡先決め、司会は順繰り、出入り自由。
 昨年9月以降、今度は選挙だと、17人の超党派の区議が戦争法廃止で独自にキャンペーン活動。NOWAR杉並と共同でいろいろ企画。2つが懇談し、議員と市民の会、「自由と平和のために行動する@杉並」立ち上げ。野党共闘と2000万署名推進。しかし、大田みたいに広げ切れてない。
磯崎四郎日野革新懇事務局長
革新懇呼びかけて「戦争はいやだ!平和憲法を守ろう!日野の会」を結成。事務局は7人。事務局長、代表は決めてない。連絡先は私の家。昨年4月以降、20数回会議開催。市民の平和の願いをどう結集するか、平和のつどいとピースパレードを常に1000人を目標にめざした。ポスターの貼りだしや駅での呼びかけ、近所でのお願いなどで、やったとの実感が出て、運動が楽しくなっていく。若い人も参加。高幡不動の貫主の「釈尊の教えと平和憲法は同じ」との賛同もえた。一般市民に広げることを大事に繰り返しやってきた。しかし、民主系議員は一線を画し政党間の共同が難しい状況があ
千田昇町田革新懇事務局長        

 戦争法廃止の一点共闘の会なので、反原発や都知事選の持ち込みはやらないと区別している。町田には9条の会が全市的にあり、代表の方が集まり、155月に孫崎享氏を呼び、「戦争はごめん!町田市民連絡会」の結成総会を行い、集会とデモをくり返してきた。孫崎氏550人、小林節氏600人、中野晃一氏500人。若い人の参加と保守層への働きかけが課題だ。
野本
区議会では共産党排除路線が強い。戦争法廃止にむけての運動では、共産、民進、生活者ネット、民主フェア、無所属の17人が共同声明出し駅宣もやった。オール大田実行委員会は、参議院選での野党共闘めざす取り組み、その後は、政策的一致が重要と8項目の要望を整理。それをもとに、共産、民進、生活者ネット、民主フェア、議員のいない社民党、新社会党合わせて懇談、政策的に一致。2回目は小選挙区どうするか懇談。都知事選も野党が統一したらやろうとなっている。
内藤
元民主党都議の区長がすすめる区施設リストラ問題への対応で17人の区議で分かれる。市民運動やっている人が議会傍聴に行って頭にきたと帰ってくる。
市民から早く衆議院選の候補者を一本化しろとの要求が出る。@杉並の会は候補者をきめるところではない。統一にむけての場所を設定するとの役割。3人の候補者陣営と市民の円卓会議を100名以上で開催。2回目は候補者3人が揃った。そうなると共産、民新の党派同士の話し合いも出来てくる。政策提言もして詰めていく。厳しい意見は出るが、主催者としては相手をあまり追い詰めず一致点を大切にしていく運営が重要。
千田
共産、民新、社民、生活者ネットの4党と市民のシンポジウムを80人参加で3月に開催。戦争法廃止、改憲阻止、沖縄米軍基地建設、野党共闘について、各党代表が2分ずつ発言。みな一致した。玉川学園でも同様のシンポジウムが行われた。
磯崎
昨年6月議会に自公民の与党が突然、安保法制促進決議を出したことに対し、私たちは自民や民主の議員と激しくやり合いながらも「日本人だったら戦争がいやなのは当たり前」「国民の理解が前提」などの発言を与党議員から引き出し、人間的つながりも出来た。実際議論すると壁がないことも感じた。その後、3回のピースパレードの度に、繰り返し全会派の議員に働きかけた。目に見えて市民の運動が広がったことが、各会派に影響を与え続けた。
昨年11月の元議員共同アピールが、党派を超えた共同の出発となった。131日の900人の平和のつどいの成功を通じて、生活者ネットも賛同し参加するなど、党派間の共同も前進してきた。
野本
オール大田実行委員会は、戦争法反対で12回の大きなセレモニーやりたいと結成された。スタッフ事務局も4団体と全体で行う実行委員会の運営になっている。
小選挙区は首長選挙と同じたたかいになるのではないか。各大衆団体の選挙も違った取り組みになるのではないか研究しようとの議論まで来ている。自らの要求を掲げてどう参加するか、新しい歴史的局面だ。
磯崎
ピースパレードでの共同を土台に、日野市民連合の準備をすすめ、元議員、弁護士、学者、ママの会、若者のUTITEなどが加わって5月に結成した。野党の共同を追求し選挙で政治を変えたいと無党派の市民も参加して宣伝などにとりくんだが、そこには党派の選挙運動だけでは汲み尽くせないエネルギーがある。戦争法に反対し憲法守れと運動してきた市民の願いが発揮できる選挙の運動を大胆に提起する必要ある。
1月のピースパレードに向けては、1152人の賛同を集めたが、本気でやれば数千人やれる。市民の平和の願いを集める方法まだまだある。新たな改憲阻止の運動の組み立てなど議論する時だ。
内藤
会議と会議の間はメールのやりとりで事が進められていく。いろいろアイディアが出され、メールを通して仲間が増えていくがまだ狭い。手間ひまかけて日野のようにもっとダイナミックな運動にしていくのが課題だ。
団体は独自の課題がありもありなかなか会議に参加できない。共同センターがなく革新懇がつなぐ役割か。運動の組み立てが、市民運動の個人と大きな団体が一緒に共同を発展させるというふうに行かないと次の段階に行けないと思う。
野本
参議院選に向けて2000万署名は大きな力になった。総選挙に向けて引き続き署名をやった方がいい。有権者の過半数位をめざし、議論を起こし、一人一人が参加する運動を追求する必要ある。途中で講演会、デモ・集会、大きな宣伝行動と組み立てて行く。
磯崎
自治労加盟の日野市職は、「戦争法反対でたたかわなかったら労働組合の存在価値はない」とピースパレード3回目には執行委で賛同を決めて組合旗を持って参加。2000万署名にも積極的に取りくんだ。全体の運動が盛り上がる中で労働組合も動き始め、市民連合には連合JR東労組八王子支部からも参加している。
署名が大切と私も思う。署名があったから対話が広がった。地域で署名集めるとつながりや運動の視野が広がる。これまでの活動家も目の向け方が広がる。「全市民を視野に」が運動のキーワードだ。
野本
2ヶ所地域の会が出来た。洗足は、力があまりない地域だから、幅広く広げた。地域に共闘広がればまだまだ可能性ある。
地主が建てたマンションに自民党のビラまかり成らんとの張り紙など保守の人が変わってきている。視野に入れた運動求められる。
革新懇も強化しなければとニュースの拡大もめざしている。
千田
革新懇の3つの目標はどんな課題でもやれる。原発、消費税、安保法制、生活向上、町田の米軍機の騒音など。革新懇は末広がりに活動出来る。
内藤
共同を広げる上で革新懇が一定の役割を発揮しているが、へたするとそこに埋没しかねない。革新懇とNOWAR杉並のやれることとは違う。革新懇が大きく、若返っていかないと運動発展ない。独自の活動も継続的に行いながら、どう共同を発展させるかが重要。
磯崎
日野革新懇は、2月総会で55人だった会員を78人まで拡大した。早く100人にしたい。市民連合の代表の元社会党議員の方も全国革新懇ニュースを購読してくれた。共同を広げて政治革新をめざしているのが革新懇だから、くどくど説明しなくともわかりやすい状況だ。
今井
 本日はありがとうございました。