2013年12月18日水曜日

老婆の叫び
 大峰順二 劇作家・演出家(東京革新懇世話人)

2010年の春。パソコンに長いメールが飛び込んできた。岩手県・西和賀町の生涯学習課で働く職員からである。その趣旨は、西和賀町にしかない町民劇をやりたいという事であった。

 西和賀町は、かつて「健康と福祉の村」として全国に名をはせた沢内村と、鉱山景気で活況を呈した湯田町が合併したことによって生まれた。しかし、合併によって誕生した新しい自治体が、夢や希望にあふれた歩みを始めたのかといえば、そんなことはない。沢内村の「健康と福祉」は、相次ぐ自治体いじめの嵐の中で赤信号を灯していたし、湯田町は、鉱山景気が去った後、温泉を頼りに観光地化を目指したが、成功してはいなかった。

 「……そんなわけで、西和賀町としての明日がなかなか見えないのです。高齢化は進む。若者は町を出る。後継者がいない。食い止めようにも仕事が創出できない。このままではいけない。そんな思いはあるのだけれど、どうすればいいのか。それを町民劇づくりの中で考えたいのです」

 私は、さっそく西和賀町に向かった。以後、80人を超える町民たちの参加で行われた「思いっきり語る会」の傍聴、聞き取り取材、さらには実行委員との懇談を深める中で「西和賀町物語」を書きあげ、上演にこぎつけた。2012年、晩秋の事である。

その上演中、場面は「夜の道行」。歩いてくるのは若い男女。男が星空の下でプロポーズをする。だが女は返事をしない。男には仕事がなく、先行きも見えないのだ。その時……。客席から大きな声が飛んだ。声の主は、老婆だった。

「がんばれ! まんず、すかたね!」

 まんず、すかたね……。そう叫んだ老婆の胸は、若者が定住し、結婚をし、子供を育てていける、そんな町でなければ未来はない。そんな思いで張り裂けそうだったのではないか。年を重ねてきた者の怒りだ。眼には涙が光っていた。

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    東京革新懇代表世話人

    浜崎和馬さんを悼む
       東京革新懇代表世話人 松本秀典
  
東京革新懇代表委員で、東京土建本部副委員長の濱﨑和馬さんが115日、虚血性心不全で急逝されました。享年65歳。
濱﨑さんは、1969年、東京土建中野支部に加入し、青年部にも加入。家業の畳屋を父とともに支えながら、地域の青年たちと青年活動やうたごえ運動にも積極的に参加していきました。物おじしない、それでいて気さくな人柄は、このような運動の中で培われてきたものかもしれません。その後、1984年に中野支部常任執行委員、1998年には支部執行委員長、2008年から東京土建本部副委員長になられ、40年以上にもわたって東京土建運動はもちろん、諸々の民主的運動の先頭に立って奮闘されてきました。亡くなる当日も、東京土建の国会行動に参加し、憲法改悪と脱原発を訴えられました。帰ってきてから、愛用の釣り道具の手入れをしていて、眠るように逝かれたそうです。ビールの飲みっぷりが豪快でした。

「ハマちゃん」と親しまれた濱﨑さんのご冥福をお祈り申し上げます。


  



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