2013年12月25日水曜日

革新懇全国交流会

革新懇運動は、国政を変える
      統一戦線の『架け橋』
大阪で「地域・職場・青年革新懇全国交流会」を開催            全体会 2013年11月16日 於 堺市 
   (全体会で連帯挨拶をするミサオ・レッドウルフさん)
安倍政権の暴走とそれを食い止める国民のたたかいが「激突する情勢」のもと、全国革新懇は2013年1116日、大阪で「地域・職場・青年革新懇全国交流会」を1700人の参加で開催しました。東京革新懇から、25名の参加がありました。
全国革新懇から「問題提起」で、「各分野での一致点にもとづく要求実現を求める共同を誠実に発展させ、政治を変える新しい共同に大きく合流、発展させよう」と呼びかけられました。
『一点共闘』から統一戦線へ
特別発言を行った志位和夫日本共産党委員長(全国革新懇代表世話人)は、「各分野で発展する『一点共闘』が互いに連帯する大きな流れにしていく『要』としての役割を果たそう。『一点共闘』が国政を変える統一戦線へと発展していく『架け橋』の役割を果たそう」と訴えました。
西東京革新懇が報告
全体会で西東京革新懇のさんは、「脱原発」と「憲法9条を守る」一点共闘の取り組みを報告しました。
市内にある18の反原発関連の団体に呼びかけ、「みんなのNONUKES西東京」を結成、市内の5駅をリレーする駅頭・散歩街頭宣伝、「原発シンポと親子イベント」、西武沿線92駅アクションなど多様な取り組みを持続しています。また、12の「9条の会」が中心となって、「SAVEザ9条・SAVEザ憲法 西東京実行委員会」を結成し、地域新聞に「戦争のできる国はイヤだ。だから憲法9条を守りたい」との意見広告を1080人の賛同で成功させました。
共同の要である地域革新懇(分散会11月17日エル大阪)
分散会では、松元代表世話人が、東京の地域革新懇が、原発ゼロや秘密保護法反対などの共同で「要」の役割を果たしていることを具体的に紹介しました。新堰代表世話人は、東京革新懇が全ての自治体に革新懇を結成することをめざし「地域革新懇活動の手引き」を作成したことを報告しました。
職場革新懇シンポでは
未来をひらく全日空の会の杉山事務局長は、「秘密保護法、国民の目・口・耳を塞ぐ悪法は、重く圧し掛かってきます。航空働者に米軍機とニアミスして報告すると、米軍機の行動が秘密機密扱いとなれば罪になる。航空機部品には、多数の米軍公知規格の部品を取り扱っています。これを誰かに喋ると、これも罪になる、など他人事ではありません。反対の声を職場に広げていくのも革新懇の役目です。」と決意を語りました。
「学び、楽しみ、行動する」をスローガンに掲げ活動している西武革新懇の青木代表世話人は、「もっと大きな視点」が大事ではないかと提起し「西武鉄道に働く人にも、利用者にも、住民にも優しい鉄道であり続けるために労働者、住民目線で経営政策などにも提言・批判を発信することが必要と考えていると、述べました。

2013年12月18日水曜日

老婆の叫び
 大峰順二 劇作家・演出家(東京革新懇世話人)

2010年の春。パソコンに長いメールが飛び込んできた。岩手県・西和賀町の生涯学習課で働く職員からである。その趣旨は、西和賀町にしかない町民劇をやりたいという事であった。

 西和賀町は、かつて「健康と福祉の村」として全国に名をはせた沢内村と、鉱山景気で活況を呈した湯田町が合併したことによって生まれた。しかし、合併によって誕生した新しい自治体が、夢や希望にあふれた歩みを始めたのかといえば、そんなことはない。沢内村の「健康と福祉」は、相次ぐ自治体いじめの嵐の中で赤信号を灯していたし、湯田町は、鉱山景気が去った後、温泉を頼りに観光地化を目指したが、成功してはいなかった。

 「……そんなわけで、西和賀町としての明日がなかなか見えないのです。高齢化は進む。若者は町を出る。後継者がいない。食い止めようにも仕事が創出できない。このままではいけない。そんな思いはあるのだけれど、どうすればいいのか。それを町民劇づくりの中で考えたいのです」

 私は、さっそく西和賀町に向かった。以後、80人を超える町民たちの参加で行われた「思いっきり語る会」の傍聴、聞き取り取材、さらには実行委員との懇談を深める中で「西和賀町物語」を書きあげ、上演にこぎつけた。2012年、晩秋の事である。

その上演中、場面は「夜の道行」。歩いてくるのは若い男女。男が星空の下でプロポーズをする。だが女は返事をしない。男には仕事がなく、先行きも見えないのだ。その時……。客席から大きな声が飛んだ。声の主は、老婆だった。

「がんばれ! まんず、すかたね!」

 まんず、すかたね……。そう叫んだ老婆の胸は、若者が定住し、結婚をし、子供を育てていける、そんな町でなければ未来はない。そんな思いで張り裂けそうだったのではないか。年を重ねてきた者の怒りだ。眼には涙が光っていた。

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    東京革新懇代表世話人

    浜崎和馬さんを悼む
       東京革新懇代表世話人 松本秀典
  
東京革新懇代表委員で、東京土建本部副委員長の濱﨑和馬さんが115日、虚血性心不全で急逝されました。享年65歳。
濱﨑さんは、1969年、東京土建中野支部に加入し、青年部にも加入。家業の畳屋を父とともに支えながら、地域の青年たちと青年活動やうたごえ運動にも積極的に参加していきました。物おじしない、それでいて気さくな人柄は、このような運動の中で培われてきたものかもしれません。その後、1984年に中野支部常任執行委員、1998年には支部執行委員長、2008年から東京土建本部副委員長になられ、40年以上にもわたって東京土建運動はもちろん、諸々の民主的運動の先頭に立って奮闘されてきました。亡くなる当日も、東京土建の国会行動に参加し、憲法改悪と脱原発を訴えられました。帰ってきてから、愛用の釣り道具の手入れをしていて、眠るように逝かれたそうです。ビールの飲みっぷりが豪快でした。

「ハマちゃん」と親しまれた濱﨑さんのご冥福をお祈り申し上げます。