松浦総三さん(東京革新懇・顧問)
1914年、山梨県生れ。1939年、渋沢栄一伝記資料編纂所入所。1946年、改造社入社。1965年、改造社解散により退社。以後フリーのジャーナリストとして評論活動に入り、東京空襲を記録する会代表、全国革新懇代表世話人、「東京都平和祈念館(仮称)」建設をすすめる会代表世話人など務めました。
1981年11月に開催されたシンポ『どうなっている?東京の地震対策』(主催;東京懇話会)において、今日にも教訓となる、次のような発言をされました。「関東大震災も、東京大空襲も人災である」「地震そのものの恐ろしさもあるが、流言飛語、デマがりょう原の火のごとく広がったことだ」「私が一番恐れるのは、そういう地震というチャンスを利用した憲法改悪や反動化だ。この点からいっても地震による“人災”を防ぐのは革新統一、革新政治が必要だと思う」。