佐野洋さんを悼む
高岡岑郷(東京革新懇代表世話人)
高岡岑郷(東京革新懇代表世話人)
推理小説界の重鎮で、日本推理作家協会理事長も務めた佐野洋(さの・よう、本名:丸山一郎〈まるやま・いちろう〉)さんが4月27日夜、肺炎のため川崎市内の病院で死去しました。八十四歳でした。
1981年・東京革新懇の結成時から世話人を務め、15周年、20周年の記念美術展のバザーでは、新刊文庫本を数点・50冊以上も提供されて財政活動の協力をいただきました。全作品を読破し大フアンを自認する私は、その折りに自宅へ伺って歓談の機会を得、気さくな人柄にも触れることができました。マスコミ九条の会よびかけ人にもなられていましたが、昨年、連載掲載誌でアルツハイマー病であることを告白され、年末から入退院を繰り返されていました。東京革新懇結成からの先人がまた逝ってしまわれました。時の刻みを止めるわけにはいかないのですね。
佐野洋さんは、東京大学文学部在学中に詩人の大岡信さん、作家の日野啓三さん(故人)らと同人雑誌「現代文学」を創刊。卒業後は読売新聞記者の傍ら推理小説を執筆、「銅婚式」で作家デビュー。1959年に退社。「一本の鉛」など社会推理小説の書き手として注目されました。短編小説の名手として作品は一千点を超え、1997年に日本ミステリー文学大賞を受賞。月刊誌「小説推理」で39年間連載のミステリー評論「推理日記」で2009年に菊池寛賞を受けました。また、警察による盗聴事件(1986年発覚)の被害を受けた緒方靖夫日本共産党国際部長(当時)の裁判を支援し、この事件をもとに小説「卑劣な耳」を執筆。布川事件の冤罪被害者の支援にも取り組まれました。
【佐野洋さんの略歴】1928年5月22日生まれ。東京市大森出身。旧制一高に首席合格、東京大学文学部心理学科卒業。1953年、読売新聞社に入社。当初兼業作家だったため、ペンネームは「社の用」にかけて付けたとのこと。1959年に退社。黒岩重吾に「血や汗を流していない小説」と批判され、「むしろ賛辞と受け止めたい」と返したほど知的遊戯としてのミステリを貫きました。
【佐野洋さんの略歴】1928年5月22日生まれ。東京市大森出身。旧制一高に首席合格、東京大学文学部心理学科卒業。1953年、読売新聞社に入社。当初兼業作家だったため、ペンネームは「社の用」にかけて付けたとのこと。1959年に退社。黒岩重吾に「血や汗を流していない小説」と批判され、「むしろ賛辞と受け止めたい」と返したほど知的遊戯としてのミステリを貫きました。
作家同士の交友に積極的で、多岐川恭、河野典生、星新一、水上勉、結城昌治らとともに若手作家の親睦団体「他殺クラブ」を結成、のち笹沢左保、大藪春彦、都筑道夫、生島治郎、戸川昌子らも加えて70年ごろまで活動しました。
1973年より「小説推理」誌に「推理日記」を連載。ベテランの実作者による推理小説時評として、さまざまな反響や議論も呼びつつ執筆は39年に及びました。
実弟の丸山昇は中国文学者で東京大学名誉教授。兄弟ともに日本共産党の支持者として知られます。
佐野洋さんは、全国革新懇、東京革新懇の結成時から世話人を受けて頂きました。「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人も務めていました。
2013年4月27日、肺炎のため死去、84歳でした。