2015年8月10日月曜日

 多くの人たちと手をつなぐ活動を 
   奥田靖二(浅川金刀比羅神社宮司、東京革新懇世話人)

 戦争法案が国会で審議され、国民の理解を得ぬまま、多数の憲法学者もこの法案を「憲法違反」としているのに採択を強行しようとしているのは許せません。私も国会前で「もう黙ってはいられない・戦争法案に反対する宗教者の会」の一人として声を上げています。
右翼論壇誌とされる「WILL」8月号で日本防衛大学校名誉教授佐瀬昌盛氏は「早い段階で自衛隊は派遣先で犠牲者を出したほうがよかったのではないか」「自衛官の「戦死」に免疫性を持つべきではないか」という暴論まで述べています。同誌で石原慎太郎氏も(自衛隊は)「一旦緩急の際にはその身の危険を覚悟の者たちによって構成されているもののはずではないか」と「自衛官の身の安全は保障されるのかなど」「アホと違うか。軍人(自衛隊は歴とした国軍である)は、その職務において一身をなげうつ覚悟を決めている。」と書き、同誌冒頭の「朝四暮三」欄の加地伸行氏と共鳴しています。いやはや恐ろしいことが起きていると思わざるをえません。
 さて私は小学校教師を退職後地域の神社の神主となり、宗教者として大震災犠牲者追悼、原水禁大会での終日の断食の祈りや灯ろう流し、「沖縄と心をつなぐ諸宗教の祈りと市民の集い」などに参加してきました。全国革新懇総会でも発言し「もっと地域の宗教者に平和や命の問題で声をかけて…」と訴えました。
政治家が「神道政治連盟」を名乗って宗教を利用し、安倍内閣閣僚のメンバーの多くもこのメンバーだそうです。ますます許せない思いです。憲法解釈を勝手に変えて「戦争ができる国」へ日本の舵をきることなど、まさに「もう黙ってはおれない」は宗教者だけではないはずです。

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   故髙岡岑郷さんを偲ぶ
                  柴田桂馬(九条の会東京連絡会事務局) 

 私はかつて日本がすすめた侵略戦争の体験者の一人です。高岡さんと出あったのはまだ20年くらいです。「東京都平和祈念館(仮称)」建設をすすめる会と九条の会東京連絡会、柴田徳衛さんを中心にした「東京問題研究会」で心を合わせて活動してきました。
 活動の中で絶えず髙岡さんは「3月10日をはじめ100回以上の東京空襲の実相を後世に伝える拠点をつくることは今生きている私たちの最も重要な使命だ」と語り、力を発揮されていました。
 また、全国空襲被災者連絡協議会が毎年8月に開催する「民間の空襲被害者救済援護法制定・差別なき戦後補償」を求める集会の成功のためにも尽力されました。
 高岡さんは常に「平和といのち」の大切さを訴え続けてきましたが、その信念の強さ、同時に柔軟性、そこから発する豊かな説得力・発言力で平和・革新運動、とくに憲法違反の「戦争法案」廃案に向けてのたたかいの発展に大きく貢献してきました。その戦争法案とのたたかいのただ中で、高岡さんを失ったことの無念さを噛みしめています。ご冥福を祈りします。


2015年6月3日水曜日

「最近思うこと」
  NHKよ、蘇れ!
  ビラに託す「思い」

  丸山重威(ジャーナリスト、東京革新懇代表世話人            

 「NHKの職員の皆さん!NHKのすべての職場、あらゆる職種の皆さん! 私たちは皆さんに頑張ってほしいと願ってビラを配っています」―5月26日朝、放送を語る会、JCJなど4団体で、東京・渋谷のNHKの門前で、「NHKは政府からの自主・自立を」と訴えたA4判のリーフを配って宣伝した。
 「先日、NHKのニュースは、ポツダム宣言をよく読んでいないという安倍首相の答弁を報道しませんでした。きょう戦争法の審議が始まるのに国会中継はない。これでいいんでしょうか? 『安倍様のNHK』では困るのです」
  繁華街のビラ配りでも同じだが、さっと手を出して受け取る人、脇目もくれず足早に歩く人、手を振って断る人…。反応はさまざまだ。
 ビラを配り、相手を見ながらいつも考えるのは、「この人、どういう仕事かな?」ということだ。「制作現場かな」もあれば「技術屋さんだな」もある。そして「余裕がなさそうだな…」「疲れているなあ…」も。いろんな表情で職場に向かう人々に、仕事と仕事場の空気も考えてしまう。
 「ニュースに関係がない方も多いと思います。でも職場で話し合ってください。NHKの責任は大きいのです」。
 私たちが訴えたのは、NHKは最大のメディアとして、国民に真実を伝え、平和を守り、育てる放送局になってほしいということだ。いい仕事は、自由で健康な職場からしか生まれない。だから中からも声を出してほしい。NHKは、政府広報機関ではない。会長は辞めるしかない…。
 配ったリーフは千八百枚。「NHKはジャーナリズムとして蘇れ」という私たちの思いをどう伝えてくれるか。職場で家庭で、何人の人に読まれ話題になるか。

 小さなリーフに、私たちの「思い」が託されていた。

2015年4月27日月曜日

最近思うこと

  「ハゲタカ」から、
  日本の中小企業をまもる
        椎名麻紗枝(弁護士、東京革新懇世話人)

 数年前にNHKで放映された「ハゲタカ」というドラマをご覧になった方も、多いであろう。
 今、あのドラマを地でいくように、外資系ファンドによる中小企業までもの乗っ取りが、各地で進行している。中小企業の多くは、金融機関からの借金を資本金がわりに経営を行ってきた。しかし、バブル崩壊後、金融機関の不良債権処理が大きな問題となり、貸しはがしが横行した。アメリカの金融資本が、巨大な不良債権を狙っていたことがその背景にある。不良債権をただ同然で買い取り、企業の乗っ取りを仕掛けるのだ。中小企業のばあい、株式を公開していないし、公開していても株式を取得するには、莫大な資金が必要になる。しかし、不良債権の買い取りは少額で済む。不良債権を買い取り、大口債権者として、売り掛け債権の差押、競売、さらには破産申立を脅しにして、会社の人事や経営に介入するのだ。
政府は、一昨年3月末で中小企業等金融円滑化法が失効したのを機に、中小企業に対するファンドの乗っ取りを加速させようとしている。過去、整理回収機構の行った「企業再生」は、企業の名前こそ残しても、経営者の追い出し、従業員のリストラ、地域商店との取引解消など、地域経済を疲弊させるものとなった。しかも、ファンドの多くは、タックスヘイブンで儲けても税金は払わない。
 亀井静香元金融担当大臣が、著書「晋三よ、国滅ぼしたもうことなかれ」で警告しているとおり、「外来資本主義」に日本の優良な企業がのみこまれかねない状況にある。これを食い止める方法は、中小企業の過剰債務の軽減だ。ハゲタカに巨額な儲けをさせるよりは、中小企業の過剰債務を軽減することがどれだけ日本の経済の活性化につながるかは明かだ。
    


2015年4月8日水曜日

最近思うこと

「教え子を再び戦場に送るな」
の原点に返って 
 工藤 芳弘 
  都教組合委員長
  東京革新懇代表世話人

「教え子を再び戦場に送るな」とのスローガンは、日本の教職員組合運動の原点だ。
このスローガンは、1951年の1月に採択され、同時に、「全面講和」「中立堅持」「軍事基地提供反対」「再軍備反対」という、講和と日本の進路についての「4つの原則」も採択された。
戦前、教育は国民を戦争にかりたてるための強力なテコとして使われた。その中心は、天皇を神として崇拝し、日本を天皇が治める国として、アジア諸国への侵略を正当化し、それを「聖戦」として美化することだった。そして、国のために死ぬことがもっとも尊い行いだと、教師は子どもたちに教えた。教育は、完全に国家の統制のもとにおかれ、学校は国民学校となり、教科書も国定教科書となったのだ。
このような中で、日本の教師たちの多くは教え子を戦場に送る役割を担わされ、何百万という若者を戦場に送った。
その悔恨の思いと反省から、戦後の教育は出発し、教職員組合は、「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを高々と掲げたのだ。
1947年5月3日には、日本国憲法が公布され、当時の文部省は、新制中学校1年生用社会科教科書として、『あたらしい憲法のはなし』を発行した。これを手にした子どもたちや教職員が、どのような思いをもってそれを受け止めたのかは想像に難くない。「戦争の放棄」については、「日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです」とはっきりと書かれている。
ところが、今の日本はどうだろう。特定秘密保護法、集団的自衛権行使、沖縄の米軍基地問題、そして憲法九条改悪の動き・・・。それと一体となった安倍「教育再生」。戦前の日本が重なってくる。

「教え子を再び戦場に送るな」―今こそ、この原点に立ち返り、この思いを新たにしなければならない。

2015年3月8日日曜日

最近思うこと

安倍首相の最近の言動に異常な危機感
小山弘泉
東京宗教者平和の会事務局長
浄土真宗本願寺派僧侶
東京革新懇代表世話人 

危険な安倍首相は退陣を
 安倍首相の最近の言動には異常な危機感を感じます。今国会で、憲法の平和主義を変えて「戦争する国」づくりに最大の狙いがあることを示しました。
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、また同じ危険に陥りやすい」とは、先の大戦の反省から、ドイツ・ワイツゼッカー元大統領が述べたものです。
国民の声を聞く耳を持たない安倍首相は、日本会議の右翼メンバー閣僚で「戦争する国」への一層の暴走を強めている危険な内閣です。早くやめてもらいましょう。 
子どもながらに戦争の悲惨さ実感
 私は、子供の頃に母から、よく戦争の話を聞きました。祖父は日清戦争で流れ弾が頭を貫通、半身不随の生活を余儀なくされました。第二次大戦では、父親や3人の叔父たちも戦場に駆り出されました。母方の一番下の弟は、25歳の若さで、特攻隊員として沖縄戦で戦死しました。
戦争の無慈悲さ無残さに怒りがこみあげたことを想い出しています。戦後70年、私も古希を迎えました。子ども3人、孫2人のお祖父ちゃんです。戦争に子どもや孫を出す訳にはいきません。 
戦争協力に教団も懺悔・告白
 第二次大戦では、日本の各仏教教団も体制翼賛会に合流し、戦争に協力しました。戦後は、多くの教団が懺悔・告白し、「反戦」を誓いました。
 お釈迦様は、「殺すな、すべての世に平安を」と教えています。他の経典では、「国々が栄え、人々は安らかに生き、軍隊も武器もいらない」(=国富民安・兵戈無用)と説いています。

 『憲法九条』を変え、「戦争する国」など、断じて許せません。東京宗教者平和の会は、平和と民主主義、政治革新を求め、参加できる唯一の共同団体である東京革新懇の発展を期待します。国民的大運動で「戦争する国」阻止しましょう。
古賀義弘さんをしのぶ
        武藤昭夫(東京革新懇代表世話人) 

 古賀義弘先生の奥様から「夫が1月12日に亡くなり家族で見送りさせて頂きました。後日しのぶ会を関係者の方々で行って頂くと伺っています」と知らせを頂きました。入退院を繰りかえしておられましたが、まさかの訃報でした。
 古賀先生とは、練馬革新懇発足(1985年9月結成)までの2年間の議論を重ねた頃からのお付き合いでした。
革新懇結成にあたって、新たな団体を作れば屋上屋だ、社共分裂の持ち込みだ、住民運動の分断だ等の意見でまとまりませんでした。この議論の中で、古賀先生は、団体や組合を壊すのではなく、国を変える3目標で活動して行くのが革新懇だ。従って、一致するところで共同していくことが重要だと主張された。その間、理解を得ることに粘り強く努力され結成されたのです。先生は、練馬革新懇と東京革新懇の代表世話人を歴任されました。
古賀先生は、「何よりも人と自然を大切にする練馬区をめざす区民集会」代表、「練馬文化の会」代表など運動に関わり、11年4月に区長選挙に出馬されました。この選挙でも労働組合、住民運動、政党などと統一戦線の立場を貫き通したたかいました。
古賀先生の思いを輝き続けさせるために、革新3目標達成させるため頑張ります。そのためにも、安倍暴走政権の一日も早い退陣に追い込むため全力を上げます。
古賀義弘さん(東京革新懇代表世話人)略歴 
1942年 福岡県生まれ
1970年 日本大学経済学部大学院卒
嘉悦大学教授・学長、嘉悦大学名誉教授、立教大学講師
2011年 練馬区長選挙に出馬
著書 
1985年 日本的経営の構造
1995年 わが国の産業構造の変化と都市化
2015年 新たな段階を迎えた日本の軍事産業