2015年6月3日水曜日

「最近思うこと」
  NHKよ、蘇れ!
  ビラに託す「思い」

  丸山重威(ジャーナリスト、東京革新懇代表世話人            

 「NHKの職員の皆さん!NHKのすべての職場、あらゆる職種の皆さん! 私たちは皆さんに頑張ってほしいと願ってビラを配っています」―5月26日朝、放送を語る会、JCJなど4団体で、東京・渋谷のNHKの門前で、「NHKは政府からの自主・自立を」と訴えたA4判のリーフを配って宣伝した。
 「先日、NHKのニュースは、ポツダム宣言をよく読んでいないという安倍首相の答弁を報道しませんでした。きょう戦争法の審議が始まるのに国会中継はない。これでいいんでしょうか? 『安倍様のNHK』では困るのです」
  繁華街のビラ配りでも同じだが、さっと手を出して受け取る人、脇目もくれず足早に歩く人、手を振って断る人…。反応はさまざまだ。
 ビラを配り、相手を見ながらいつも考えるのは、「この人、どういう仕事かな?」ということだ。「制作現場かな」もあれば「技術屋さんだな」もある。そして「余裕がなさそうだな…」「疲れているなあ…」も。いろんな表情で職場に向かう人々に、仕事と仕事場の空気も考えてしまう。
 「ニュースに関係がない方も多いと思います。でも職場で話し合ってください。NHKの責任は大きいのです」。
 私たちが訴えたのは、NHKは最大のメディアとして、国民に真実を伝え、平和を守り、育てる放送局になってほしいということだ。いい仕事は、自由で健康な職場からしか生まれない。だから中からも声を出してほしい。NHKは、政府広報機関ではない。会長は辞めるしかない…。
 配ったリーフは千八百枚。「NHKはジャーナリズムとして蘇れ」という私たちの思いをどう伝えてくれるか。職場で家庭で、何人の人に読まれ話題になるか。

 小さなリーフに、私たちの「思い」が託されていた。

2015年4月27日月曜日

最近思うこと

  「ハゲタカ」から、
  日本の中小企業をまもる
        椎名麻紗枝弁護士、東京革新懇世話人)

 数年前にNHKで放映された「ハゲタカ」というドラマをご覧になった方も、多いであろう。
 今、あのドラマを地でいくように、外資系ファンドによる中小企業までもの乗っ取りが、各地で進行している。中小企業の多くは、金融機関からの借金を資本金がわりに経営を行ってきた。しかし、バブル崩壊後、金融機関の不良債権処理が大きな問題となり、貸しはがしが横行した。アメリカの金融資本が、巨大な不良債権を狙っていたことがその背景にある。不良債権をただ同然で買い取り、企業の乗っ取りを仕掛けるのだ。中小企業のばあい、株式を公開していないし、公開していても株式を取得するには、莫大な資金が必要になる。しかし、不良債権の買い取りは少額で済む。不良債権を買い取り、大口債権者として、売り掛け債権の差押、競売、さらには破産申立を脅しにして、会社の人事や経営に介入するのだ。
政府は、一昨年3月末で中小企業等金融円滑化法が失効したのを機に、中小企業に対するファンドの乗っ取りを加速させようとしている。過去、整理回収機構の行った「企業再生」は、企業の名前こそ残しても、経営者の追い出し、従業員のリストラ、地域商店との取引解消など、地域経済を疲弊させるものとなった。しかも、ファンドの多くは、タックスヘイブンで儲けても税金は払わない。
 亀井静香元金融担当大臣が、著書「晋三よ、国滅ぼしたもうことなかれ」で警告しているとおり、「外来資本主義」に日本の優良な企業がのみこまれかねない状況にある。これを食い止める方法は、中小企業の過剰債務の軽減だ。ハゲタカに巨額な儲けをさせるよりは、中小企業の過剰債務を軽減することがどれだけ日本の経済の活性化につながるかは明かだ。
    


2015年4月8日水曜日

最近思うこと

「教え子を再び戦場に送るな」
の原点に返って 
 工藤 芳弘 
  都教組合委員長
  東京革新懇代表世話人

「教え子を再び戦場に送るな」とのスローガンは、日本の教職員組合運動の原点だ。
このスローガンは、1951年の1月に採択され、同時に、「全面講和」「中立堅持」「軍事基地提供反対」「再軍備反対」という、講和と日本の進路についての「4つの原則」も採択された。
戦前、教育は国民を戦争にかりたてるための強力なテコとして使われた。その中心は、天皇を神として崇拝し、日本を天皇が治める国として、アジア諸国への侵略を正当化し、それを「聖戦」として美化することだった。そして、国のために死ぬことがもっとも尊い行いだと、教師は子どもたちに教えた。教育は、完全に国家の統制のもとにおかれ、学校は国民学校となり、教科書も国定教科書となったのだ。
このような中で、日本の教師たちの多くは教え子を戦場に送る役割を担わされ、何百万という若者を戦場に送った。
その悔恨の思いと反省から、戦後の教育は出発し、教職員組合は、「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを高々と掲げたのだ。
1947年5月3日には、日本国憲法が公布され、当時の文部省は、新制中学校1年生用社会科教科書として、『あたらしい憲法のはなし』を発行した。これを手にした子どもたちや教職員が、どのような思いをもってそれを受け止めたのかは想像に難くない。「戦争の放棄」については、「日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです」とはっきりと書かれている。
ところが、今の日本はどうだろう。特定秘密保護法、集団的自衛権行使、沖縄の米軍基地問題、そして憲法九条改悪の動き・・・。それと一体となった安倍「教育再生」。戦前の日本が重なってくる。

「教え子を再び戦場に送るな」―今こそ、この原点に立ち返り、この思いを新たにしなければならない。

2015年3月8日日曜日

最近思うこと

安倍首相の最近の言動に異常な危機感
小山弘泉
東京宗教者平和の会事務局長
浄土真宗本願寺派僧侶
東京革新懇代表世話人 

危険な安倍首相は退陣を
 安倍首相の最近の言動には異常な危機感を感じます。今国会で、憲法の平和主義を変えて「戦争する国」づくりに最大の狙いがあることを示しました。
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、また同じ危険に陥りやすい」とは、先の大戦の反省から、ドイツ・ワイツゼッカー元大統領が述べたものです。
国民の声を聞く耳を持たない安倍首相は、日本会議の右翼メンバー閣僚で「戦争する国」への一層の暴走を強めている危険な内閣です。早くやめてもらいましょう。 
子どもながらに戦争の悲惨さ実感
 私は、子供の頃に母から、よく戦争の話を聞きました。祖父は日清戦争で流れ弾が頭を貫通、半身不随の生活を余儀なくされました。第二次大戦では、父親や3人の叔父たちも戦場に駆り出されました。母方の一番下の弟は、25歳の若さで、特攻隊員として沖縄戦で戦死しました。
戦争の無慈悲さ無残さに怒りがこみあげたことを想い出しています。戦後70年、私も古希を迎えました。子ども3人、孫2人のお祖父ちゃんです。戦争に子どもや孫を出す訳にはいきません。 
戦争協力に教団も懺悔・告白
 第二次大戦では、日本の各仏教教団も体制翼賛会に合流し、戦争に協力しました。戦後は、多くの教団が懺悔・告白し、「反戦」を誓いました。
 お釈迦様は、「殺すな、すべての世に平安を」と教えています。他の経典では、「国々が栄え、人々は安らかに生き、軍隊も武器もいらない」(=国富民安・兵戈無用)と説いています。

 『憲法九条』を変え、「戦争する国」など、断じて許せません。東京宗教者平和の会は、平和と民主主義、政治革新を求め、参加できる唯一の共同団体である東京革新懇の発展を期待します。国民的大運動で「戦争する国」阻止しましょう。
古賀義弘さんをしのぶ
        武藤昭夫(東京革新懇代表世話人) 

 古賀義弘先生の奥様から「夫が1月12日に亡くなり家族で見送りさせて頂きました。後日しのぶ会を関係者の方々で行って頂くと伺っています」と知らせを頂きました。入退院を繰りかえしておられましたが、まさかの訃報でした。
 古賀先生とは、練馬革新懇発足(1985年9月結成)までの2年間の議論を重ねた頃からのお付き合いでした。
革新懇結成にあたって、新たな団体を作れば屋上屋だ、社共分裂の持ち込みだ、住民運動の分断だ等の意見でまとまりませんでした。この議論の中で、古賀先生は、団体や組合を壊すのではなく、国を変える3目標で活動して行くのが革新懇だ。従って、一致するところで共同していくことが重要だと主張された。その間、理解を得ることに粘り強く努力され結成されたのです。先生は、練馬革新懇と東京革新懇の代表世話人を歴任されました。
古賀先生は、「何よりも人と自然を大切にする練馬区をめざす区民集会」代表、「練馬文化の会」代表など運動に関わり、11年4月に区長選挙に出馬されました。この選挙でも労働組合、住民運動、政党などと統一戦線の立場を貫き通したたかいました。
古賀先生の思いを輝き続けさせるために、革新3目標達成させるため頑張ります。そのためにも、安倍暴走政権の一日も早い退陣に追い込むため全力を上げます。
古賀義弘さん(東京革新懇代表世話人)略歴 
1942年 福岡県生まれ
1970年 日本大学経済学部大学院卒
嘉悦大学教授・学長、嘉悦大学名誉教授、立教大学講師
2011年 練馬区長選挙に出馬
著書 
1985年 日本的経営の構造
1995年 わが国の産業構造の変化と都市化
2015年 新たな段階を迎えた日本の軍事産業


2014年12月18日木曜日

最近思うこと

  自然と向き合って
       渡辺皓司(画家、東京革新懇世話人)
 去る1122日長野県北部を震度6弱の地震が襲った。白馬村、小谷あたりは「塩の道」が通じ、春は田植え前の水面に映る、雪の白馬岳の美しい姿を想い出す。四季折々何度か歩いた道である。この美しい村を襲った大地震に胸が痛むが、崩れた家がありながら死者がなかったことに、ほっとする。
  自然は有難い恵みをあたえてくれるが、人間が抗することができぬ大きな力が災害も引起こす。「311」の大地震と巨大津波、近くは御嶽山の噴火があった。人間は自然には勝てないという確かな実感として人間に知らしめ、科学の力で自然を征服できると考える人間の思いあがりに、警告を発しているのではないか。福島の原発事故がそうだ。科学技術の力で地上に太陽をつくるなど身の程知らずの愚行ではないか。物質中心の経済成長、命よりカネ優先。今も汚染水流出、土地の除染もままならず、故郷を追われた被災者は家にも帰れない。原発再稼働など考えるだけでも罪深い。川内原発だけでなく総ての原発ゼロがよい。

 こうした物質中心の経済成長の陰で地球温暖化が進行したことは今や常識になっている。ここ数年の猛暑、豪雨、龍巻など尋常でない気象異常は日本だけでなく、世界に広がっている。水害、干ばつ、地球両極の氷解など自然界のバランスとリズムが崩れ、生態系まで狂わせている。熱帯魚の北上や蝶の空間移動は温暖化のバロメーターといわれる。

 こんな現代を私は、生き物の受難時代とイメージして絵を描いている。地球は究極の破滅まで行くのか、その不安も内包する。自然を畏敬し共生した古代の人々の心を引継ぎ、現代にどう生かして造形化したらよいか、大きな課題だ。だが現実の美しい地球をそっくりそのまま守ることが何より大事だ。これほど確かなことはない。

2014年11月1日土曜日

伊藤吉紀さんの97歳の生涯に学ぶ
       山崎 元(杉並革新懇代表世話人)     
伊藤吉紀さん(東京革新懇顧問)伊藤吉紀さんは97歳という長寿を保たれ、日本ベトナム友好協会の会長はじめ、東京革新懇・杉並革新懇の代表世話人、日本共産党杉並後援会会長、原水爆禁止世界大会実行委員会の国際部担当と多岐にわたり、政治活動、市民社会の運動と、生涯を通じて貢献されました。演説を終えるとすぐ、ビラを配りはじめるなど、活動の在り方を教えられました。
 伊藤さんが信奉した政治家は、ベトナム・ホーチミン国家主席。伊藤さんのシャープな国際感覚や造詣の深い歴史認識は、ホーチミン精神の継承とその研鑽の成果でもありました。明晰で的確な政治情勢などの判断力は希有ともいえるものでした。
 「ぞう列車がやってきた」で有名な東山動物園で、戦争中敢えてぞう舎の前に軍馬用の食糧の「ふすま」の袋の山を積み上げさせた三井孟中尉は、実は伊藤吉紀さんのいとこで、幼少の頃遊び合った仲だったといいます。この知られざるエピソードを偶然知りました。
 戦後70回目の秋、安倍政権の亡国政治により、日本の平和と民主主義はもっとも危機的な状況です。
 伊藤さんの生涯から学び、ご意志を継いで非核平和の世界と日本の政治革新をめざし奮闘することをあらためて御霊前に誓うものです。(写真は伊藤吉紀さん・東京革新懇顧問)